May 23, 2007
魂は頭蓋骨の一点に宿る



山手線渋谷駅構内に張り巡らされた「大日本人」ポスター。例えば、どれだけ好きなミュージシャンのポスターが駅前に張ってあったとしてもカメラを構える事はまずないが、この男の場合、一筋縄ではいかん感がある。数ある「大日本人」ポスターの中で、俺の中で一際目を惹く、「カンヌ(笑)」。ある種、カンヌ映画祭を馬鹿にした感もある。逆手に取った感もある。そして、山手線構内からそのまま向かう先、上野・東京国立博物館「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像-」。向かっとる途中、「上野まで本でも読んで有意義に過ごしたろかしらん」の矢先、新宿駅で降りて行くおっさん達。俺の隣に座っとったと思われるおっさん、定期を置き忘れて行く。俺は定期を手に取り、構内に出る。出たはええが、どのおっさんか分からずじまい。俺は仕方なく電車に戻る。手には定期、「3万6千円」と書かれた3ヶ月分の定期。これはいかん。次の駅、「新大久保」で飛び降りる。車掌を探すが見つからず。そこでたまたま反対線路から来た新宿へと向かう電車がやって来る。俺は車掌さんのもとへと走る。それは、走る。車掌は定期を、「ありがとうございます」と受け取り、電車は新宿へと向かう。そして俺の乗ってきた電車は、俺を乗せず上野へと向かう。俺はひどく後悔する。なんで新宿駅で降りた時、定期に書かれた名前を大声で叫ばんかったんかと。そして思ってくる、錯覚してくる、俺は悪い事をしたんじゃないか。もとを正せば、定期を忘れるおっさんが一も二も悪い。しかし、俺が新宿駅で機転を利かせとけば、俺もおっさんも気分が良かった様な気がする。そこで、「俺は悪い事したんかも知れん」に繋がる。なんでこんな気分にならんといかんのかと。俺は色んな事を含めて、部屋を一歩でも出ようモンなら、必ず機嫌が悪くなる。「そんな大事なモン置き忘れんなや」とおっさんに言ってやりたいが、今回は俺も悪い事をした感がある。怒りをぶつける先がなくなる。他の輩なら、「俺は良い事したぞ!」と勘違いするか知らんが、俺は色んな事を考える。「中途半端な優しさ」を出してしまったと考える。中途半端は決して良くない。定期を盗むよりは100倍ええ事に違いないが、あんな事で「ありがとう」と言われても俺は素直に喜べんし、嬉しくはない。なぜかこっちが「ごめんなさい」になってしまう。ガラスのハートの持主このワタシ、例えば音楽の事で、「君の良さは全く分からないね」などとほざかれても「やかましい」で充分事足りるが、こういう出来事に関しては深く深く考えてしまう。そして、そんな事を考えながら、もって行き様のない不愉快な気分を味わいながら電車は上野に着く。本は読む気にもならず。そして本題、「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像-」。じっくり内容を理解しながら見るには4時間を軽く要する。俺は閉館時間の関係上、3時間ちょっとしか見れんかったが、もう凄いとか何とか軽い言葉で言っとる場合ではない。内容を書きたいが、もはや書き方すら分からん。とにかく何から何まで法則がある。数学の哲学レオナルド。建築物の如く作品を操るダ・ヴィンチ。俺は「阿呆やなぁ」とぶつくさ呟き続けた(もちろん良い意味)。きっと、とんでもなく面倒臭い人だったのだろう(もちろん良い意味)。とにかく、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」を多少でも知る事が出来て嬉しい。嗚呼、ハッピーエンド。
P.S 次回「モディリアーニ」、そして「大日本人」と芸術鑑賞の旅はまだまだ続く。