January 17, 2009
俺しか俺じゃない
そういえば、今日は「JET SET」(レコード屋)がかの有名な一番街に移転してくる日とちゃうんけ、
そんな事を夕方思い出し、俺はその前に払う必要のある電気代の事も含めて金庫を開け、ワーゲンバス貯金箱を漁る。
そこで頭をよぎる麗しのことわざ、「背に腹は代えられん」。
なるほど、初めてこのことわざを使いこなしてみる。
どこかで企画を演った際にいただいたお金、千円札五枚を取り出し、百円玉をワーゲンバスから何枚か抜き出した後、俺は電気代を止められる間一髪のところで支払い、そしてレコード屋へと繰り出す。
「JET SET」を手ぶらで出て、何故か小金持ちの気分で懲りもせず向かってしまうのがディスクユニオン。
「ミュージックマガジン二月号」の表紙がブランキージェットシティである事に驚愕した後、手に入れる。
無論、何枚かのレコードが目に止まったが、辛うじてセーブする。
そんな訳でBGMは二時間半前からブランキージェットシティ。
随分とぶったまげた事をやらかしてくれたモンだ。
今日はなかなかに休日らしい休日だといえる。

P.S 14年前の早朝、すなわち神戸大震災の朝、俺は新聞配達所へと向かう道の上だった。そこでも確かに異変を感じたが、新聞を配り終えて家に戻るとお母さんが言った、
「怖かったでー、アンタ!揺れて揺れて柱につかまったモンなー」
あれから14年か。
その時、「14年後に俺、東京の下北沢でワンマンライヴ演るでー」と言い放ったとして、信じた奴などおっただろうか。俺も含めて空想の話だけで終わっただろう。
まだまだ序の口、小さい夢から大きい夢まで全部やっつけてやる。夢は叶える為だけにある。それは死ぬまで誰にも止められん。
俺はブコウスキーでもロニーレインでもない。俺は誰にもなりたくない。俺だけの道を作る事に人生を費やす。
12年位前、ジェットシティのフロントマンが、音楽雑誌に楽譜が掲載された際に答えたインタビューを思い出す、
「コピーなどやめてオリジナルを演った方がええよ」
それは生き方にもいえる。エルヴィス曰く「That’s All Right」。
そんな事を夕方思い出し、俺はその前に払う必要のある電気代の事も含めて金庫を開け、ワーゲンバス貯金箱を漁る。
そこで頭をよぎる麗しのことわざ、「背に腹は代えられん」。
なるほど、初めてこのことわざを使いこなしてみる。
どこかで企画を演った際にいただいたお金、千円札五枚を取り出し、百円玉をワーゲンバスから何枚か抜き出した後、俺は電気代を止められる間一髪のところで支払い、そしてレコード屋へと繰り出す。
「JET SET」を手ぶらで出て、何故か小金持ちの気分で懲りもせず向かってしまうのがディスクユニオン。
「ミュージックマガジン二月号」の表紙がブランキージェットシティである事に驚愕した後、手に入れる。
無論、何枚かのレコードが目に止まったが、辛うじてセーブする。
そんな訳でBGMは二時間半前からブランキージェットシティ。
随分とぶったまげた事をやらかしてくれたモンだ。
今日はなかなかに休日らしい休日だといえる。

P.S 14年前の早朝、すなわち神戸大震災の朝、俺は新聞配達所へと向かう道の上だった。そこでも確かに異変を感じたが、新聞を配り終えて家に戻るとお母さんが言った、
「怖かったでー、アンタ!揺れて揺れて柱につかまったモンなー」
あれから14年か。
その時、「14年後に俺、東京の下北沢でワンマンライヴ演るでー」と言い放ったとして、信じた奴などおっただろうか。俺も含めて空想の話だけで終わっただろう。
まだまだ序の口、小さい夢から大きい夢まで全部やっつけてやる。夢は叶える為だけにある。それは死ぬまで誰にも止められん。
俺はブコウスキーでもロニーレインでもない。俺は誰にもなりたくない。俺だけの道を作る事に人生を費やす。
12年位前、ジェットシティのフロントマンが、音楽雑誌に楽譜が掲載された際に答えたインタビューを思い出す、
「コピーなどやめてオリジナルを演った方がええよ」
それは生き方にもいえる。エルヴィス曰く「That’s All Right」。