January 25, 2009
旧国産車に確かな生きる活力を見い出す無免許男の物語

「New Year Meeting」に参加。
そこは本物のワル、すなわち、【粋!モダン!ヒップ!】の見事三拍子を兼ね揃えたやさぐれモノホンおっさん不良グループ(と書いて【最も正しい人達】と読む)の会合。
その雰囲気、女、子どもに用はないぜと言わんばかり。フリーマーケットはあちらこちらに立ち上がり、俺は車の部品を買おうかどうか迷った。おっと、免許持ってないのは内緒だ。







こんな車が街に溢れたらどうだ、こんな車が日本全国の駐車場を埋め尽くす姿を思い描いてみろ、そう、その自由な想像力で。きっと世界は平和になるんじゃないのか。
いや、もしこんな車ばかりが溢れたら、俺は逆に旧車が嫌いになってしまったりするのか。
何十年か前にはこんなイカした車が確かに街に溢れとったのだ。ところがどっこいすっとこどっこい今はどうだ、目も当てられんデザインばかりだ。

こんな個人タクシーが街を走ればどうだ、俺は思わず、たとえワンメーターの距離とて手を上げずにはおれんかも知らん。

こんなパトカーならばどうだ、俺は思わず乗りたい衝動に駆られ、ちょっとした悪さをしでかしてしまうかも知らん(それはいかん)。
俺は駐車場の出口付近で、展示を終えた車が持主の運転でそのまま走り去っていく様を小一時間眺め続けた。どれもこれも車同様、「貫き通す意志が見て取れるイカした古いタイプの風貌」持ち合わせたおっさんの運転であった。
普通の車が駐車場から出て行く様を小一時間も眺め続ける事が出来るか。出来んだろう。やはり、旧国産車が街に溢れれば世界は、いや、少なくとも俺は穏やかな気分になれるのではないか。
近くにそびえるフジテレビも巨大観覧車も俺には用がない。そんなモンは女、子どもに任せておけば良い。これでバランスが保てる。
俺は旧車を見て確かに生きる活力をもらった。俺に必要なのはこの興奮して止まん様な活力だ。
おっと、必要なものはもう一つ、そう、免許だ。危うく免許持ってない事すら忘れてしまう様な一日。
そんな訳でご多分に漏れず「第十八次・免許欲しいの症候群」に突入。
遅くとも30歳までには取得、夢は小学生の頃から変わる事はない、「ワーゲン、もしくは旧車を乗り回す事」だ。
それに乗ってツアーだ。車内BGMは無論、カセットテープオンリーだ。
おぉ、夢は死ぬまで途切れる事がない。

フリーマーケットで掘り当てたイカし過ぎポスター、この興奮を忘れずに生きる。