June 17, 2009

ウィットの全てとウィットが全て論

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吹きぬける風のようなおれの住む世界へ一度はおいでヨ
荒れ果てた大地にチッポケな花を一つ咲かせておこう


70年代吟遊詩人が颯爽と叫ぶ。

本日東京渋谷は文化村、溢れかえるカップル、群がる若人、泣き喚く小人、謎を解こうとする老人、そんなモノ達にまぎれ込みながら「奇想の王国・だまし絵展」鑑賞。

神聖な美術館において「おー、すごい」などとそんなベタな言葉、口が裂けても吐き出したくないが、小声で何度も呟く言葉、「おい、すごいぞ!」。


何百年前、すなわちレコードもなくカセットテープもなくテレビもなくインターネットなど奇跡の代物、喫茶店もなくギターもなく電気もなくティッシュもなくカメラなどヒップな絵空事、ものさしがあったのかすら怪しい時代のウィットと頭の回転が全ての額縁内での出来事。

何でもかんでも有り過ぎる位に有る時代に生きるこのひょっとこ野郎、俺は一体何者なんだと自問自答してみたくもなる。何百年も前に生きた画家達に足を向けて眠るなんて恥ずかしくてとても出来る訳がない。今や人間は選択肢が多過ぎ、全てに甘え、全てを見失ってしまう有り様だ。


オーケー、オールオーケー、ウィットの全てをこの目で目撃、どっかから盗んできた様な言葉をまくしたて垂れ流し、さも知った様な口調でのさばり続ける偽者博識人気取り野郎には直ちにモデルガンを突きつけろ。ウィットの意味さえ分からず血迷い続ける一般平凡人種に今こそ弾を八発命中させろ。

ルネ・マグリット、ウィットの神様、俺は捉える。「ウィット」とは美術の世界から生み出された言葉なんじゃないかと、もはや信じて疑わん。

部屋に戻り玄関を開けたその瞬間、俺には曲が舞い降りてきた。靴下も脱がずギターを手に取りノートブックに詩を書き殴れば七割完成、それは見事、頭の回転とウィットが全てのモノになった。

頭を通してからではもう手遅れ、緻密な計算など要らん、この感覚にのみ従い続ける。

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at 20:47│Comments(0)TrackBack(0)│ │芸術鑑賞 

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