June 25, 2009

生きる偉人の言葉を借りてさようなら

俺はどうやら、手の内を明かし過ぎてしまった。曝け出し過ぎてしまった。

矛盾に矛盾を積み重ねて俺は存在してしまっている。「男に二言はある」と化してしまった戯け人間このワタシ、暫らくこちらへ書く事は控えた方が良いと悟る。

いや、書く事自体を止める必要などどこにもない。何も書く事がなくなった時、それは「死」さえ連想させる。俺には書く事など腐る程にある。「何も書く事がない」と嘆く輩を俺は心底軽蔑している。「何も書く事がない」という事実をヒップな文面で書き綴る事が出来ればただそれだけで読物とはいとも簡単に完成する。そして今の俺にはノートブックと鉛筆一本あれば良い。こんなところにすったもんだほれたはれたを書き綴るその前に、戯けた気分を全て詩の中に収めてしまいたいと相成る。


詩は良い、自分の胸の内を真っ正面から書き殴り、それがアカの他人に受け入れられたりする事もある。何なら自分の胸の内をさも誰かの出来事の様に仕上げてしまう事だって可能だ。この世に「詩」という名のアナログが存在して良かったと思う。それはどんなハイカラデジタル機器でも成し得ん事だ。だから詩は、表現する事は何よりも素晴らしい。

バットしかしもしも明日、心から胸踊る出来事と出くわしたなら、俺は吹けもせん口笛を吹く素振りでもしながらこちらに、文面さえも躍り出しそうな過剰な物語を堂々と書き綴ってしまうかも知れない。

何もかもが曖昧だ。仕事を終え、書き、ウイスキーを煽って眠るだけ。冷房機器の寒さにだって怯え、勝てず、理解出来ず、そして今日も怒りに満ちている。

俺は酔っていた。無論、ウイスキーにではない、結果、自分自身に酔い過ぎていたのだ。

それはとても重要な事ではある。意識するまでもない、ご多分に漏れず世の中の狂った仕組みにすっぽりと納まり、ええ加減に渡り歩くなんて真っ平御免、二億円貰っても無理なモンは無理だと、こう言える程の強さだってほしい。

ある奴とは袂を分かち ある奴はこの世から消え去り
ある奴は一人旅に出て 誰もが同じ漂白の日々

新しい煩わしさや あらすじ通りの日々や
あきらめの色 哀しみの色 すべて塗りつぶしてしまおう
天才的にエクスキューズ 白旗ならいくらでもあげよう


生きる偉人の言葉を借りてさようなら。

コメントをくれた何人かの男達に俺は深く感謝している。きっとどこかで会ってもそんな事は口にはせんだろう、バットしかし、深く感謝している。

優しさってどういう意味、誰かが何かと闘い苦しむ時、サラッと声をかけれる男の事、打って変わって黙って見守る男も断じてクールと呼べる。

俺は甘えていた、頼っていた、自分にはないモノにすがっていた。

「お前にそんな覚悟があるんか」、俺は怒鳴った。

そしてそう、覚悟の一つも出来てなかったのはこの俺の方だったという冗談にもならん事実。

道は遠いが強引にもオーケー、オールオーケー、

俺だけの言葉を携えて、三日後、一週間後、二ヵ月後、はたまた明日、俺は必ず戻ってくる。

レッツゴー・仙台、そしてニュー・オリンズ、夢は続く。

そして誰かはきっと思うだろう、「懲りもせずこの文章は酔っている」。

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P.S

’09.7.14(火)
ライヴ アット 池袋トライ
18時開場/18時半開演/1000円(+1drink)


18:30~19:00/十条フォークジャンボリー
19:05~19:35/竹内英輔
19:40~20:10/スズキタクヤ
20:15~20:45/松島英生
20:50~21:20/Loach
21:25~21:55/川田福志
22:00~22:30/高哲典


お母さんは65歳最後の日、俺はとびきりの詩を唄うだけ、ただそれだけ。

きっとこの日は「胸踊る出来事」として深く刻まれるだろう。





at 21:22│Comments(0)TrackBack(0)│ │日々 

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