November 30, 2010
スゥイートハートの運び屋 ’10
罵り合いだとか殴り合いだとか何だとか、
そんな類いは金輪際ノープロブレム事項。
ドンクサイ事だとかシャラクサイ事だとか何だとか、
そんな類いに脳と足を取られ続けるなんてクダラナ過ぎて閉口。
個人ってのは「髪の毛を緑色に染める」って事じゃない、
無論、髭を蓄える事でもポマードを塗りたくる事でもない、
真っ白Tシャツにブルージーンズでも「しっかりと個人」だって事は存分にありうる話だ。
考え方次第で世界は丸かったり
考え方次第でコンペイトウに見えたり
考え方次第で世界は平和だったり
考え方次第で終末に見えたり
1990年なる輝かしき時代のザ・ブームだってこう叫んでるってんだからまったくもって正しいに違いない。
ところでそんなドンクサイ且つシャラクサイ与太哲学ファッキン論はともかく、
突然この目に飛び込んできやがる天下のルー・ルイス来日ニュース、これはタマラナイ×6960。
胸躍る事柄なんて実はそこかしこに落っこちている、惚れた腫れた然り500円柄シャツ然り。
誰かがヌカす、
「コイツはワルではない、極道だ」
大変残念な事に俺はそんなんじゃない、単なるそこそこのスゥイートハート運び屋。
ウディ・アレン「スコルピオンの恋まじない」観賞、
風刺、ウィット、物語、言い回し、巧みさ、小粋さ、何やらかんやら、
どれを取っても格式高き特級具合にプロフェッショナルのケタの違いを目の当たり。
胸躍る事柄なんて実はあちらこちらに落っこちている、ニューヨーク然りウディ・アレン然り。
その、世界を睨む様な哀しい目で分別を見極めて拾い集めてやれば良い、
いずれにしても好きなモノは好きなまま死ねる、
思い出を繋ぎ合わせながら大茶番話で笑えたなら勝利だ。
社会から見た勝利じゃない、個人的な勝利だ、それだけで充分事足りる有り様。