February 23, 2011
皿洗いとロカビリーの理論でヌカせ ’11

真剣にやっているなら「怖い」なんてもはや当たり前だ、
真面目にやっているなら「怒る」なんてもはや当然の行為だ。
鍵をジャラジャラと鳴らして歩く事がクールだと思っているなら、
そんなモン「勘違い」且つ「筋違い」の代名詞に他ならない。
徒党を組んで初めてデカい口を叩くなんてダサ過ぎる、
ダサ過ぎて眩暈が止まらない。
流行言葉を駆使して偽のポイントを稼ぎたがるクズにお目にかかる度に襲われる脱力感、
そんなモン「ボクにはセンスもウィットの欠片もありません」と堂々とひけらかしているのと同義だ、
俺は嫌だ、虫酸が走る×642、断固妥協は許さない。
「アンタ生きるの大変ね」
大言壮語を吐く為にはやる事をやるだけだ、
モラルとマナーと最低限の御挨拶くらい弁えとけ、この生涯バッタ野郎共。
「クズに用などない」とほざき続ける為にまずやるべき事はクズにはならないと誓い続ける事だ、
突き抜けたいと思った時にまずやるべき事は突き抜けようと企む気持ちを持つ事だ。
ところで皿洗い時に回すロカビリー、
苦手な皿洗いが通常の787倍楽しくなるというイカす方法を改めて思い出し胸躍らせる今日この頃。
ヤツがくれる一粒のチョコレート、痛みを忘れて笑える生粋のハッタリ英語、
肝心なのは個人的な楽しみと安らぎを見い出し続ける事に他ならない、
一般的、若者的、何ちゃら的、そんな類いは断固眩暈事項、
俺には永久に「用などない」。