September 24, 2015
peace 150911-150923


シルバーウィークとか何とかいうシャラクサさ特級な言い回しを定着させようと企むメディア、そしてまんまと定着しつつあるこのヤスい現状を君は一体どう思う?
オレは無論、身震い同様に嫌いだ。
さて、魂のレッドマンス9月にして2016年6月のコトなどに思いも馳せている昨今、その頃、生きているかも知らんクセに脳内は何時だって忙しない始末。
大阪スリーデイズは特級にゴキゲンだった。必殺技前乗りってヤツでドヤへチェックインした直後、疲れ知らずで外へ飛び出したその瞬間から特級だった。
ボロな焼鳥屋の大将は元親分、路上では早々に喧嘩が始まり、見たくもない血も流れていたが、そこには人情があった。人情しかなかった。
一発目は塚本エレバティにて吉見拓哉と再会、奇しくも「9.11」という日に演った「夢の暮らし」。
オヒネリでいただいた千円札には「戦争反対」と書いてあった。コレは使えるお金じゃないだろう。
二発目は鮨処小町にてトミーブギーと再会、完璧にニクいライヴをカマされ、オレは前の方でテメーコノヤローを連呼、
横に居たブラックミウラストーンは興奮しながら耳元で囁いた、「やっぱオレ、間違ってねぇ」、
ラストはそんなブラックミウラストーンを招いて三人で「ダーティオールドタウン」、そしてルースターズで「フールフォーユー」を演った。
職人哲也さんが握ってくれた鮨を食べながら呑みまくり、それからトミーの「夜垂レ」に行っては呑みまくり、ようやく寝るかと相成ったのは朝の9時だった。
三発目は塚本ハウリンバー、山田兎さんと初共演一時間勝負。
オレはライヴ中に力が入り過ぎて、初めてこのまま死ぬんじゃないかといった感じで意識がトンだ。
一瞬の出来事だったがアタマが光った。アレには驚いたが直ぐに持ち前のジャリズリ精神で立ち直り、終演後は兎さんと嬉しく呑んだ。
その日、別の場所でライヴを演っていたトミーと、T字路sのお二人と再会し、千日前の裏道駐車場にある屋台で食べた麻婆豆腐推定350円は絶品だった。
興奮冷めやらずまるで眠れんまま、エロな写真を眺めたりしている内に迎えたチェックアウトタイム。
バスで下北沢に舞い戻り、猿小屋から徒歩9秒のところにある串カツ屋で大阪を振り返った。
その後、ジャケット撮影、ウエタケユキオ先生とのリハーサル、そして旅、旅、旅、もう止められないってな仕組みだ。
そしてドサクサ紛れにトラベラーズファクトリーへ久方振りに出向いた。2016年のスケジュールを半分以上埋めるべく出向いた。その頃、生きているかも知らんクセにだ。
半年前から書き込んでいた「午前10時の映画祭 / ショーシャンクの空に」は結局観れんままに終わった。
そして先日は「Fujikawa Atomic Orchestra」 のワンマンショーへ出演。
藤川賢一、 13歳時分、かの有名な「ミュージックステーション」って番組を眺めていたら突然一人の男が現れた。左手にはトランペットを持っていた。
その記憶と唄を脳内に残したままの20年後、突然その男、藤川賢一は目の前に現れた。
短い出演時間の中、ラストは「Fujikawa Atomic Orchestra」をバックに従えての「ヘイトアシュベリー」、
「パシフィックトランペット藤川賢一!」、メンバー紹介をしてから客席に飛び込んだ。一人じゃ出来ない自由もある。
18個の事柄が同時進行している今日この頃、一人では到底追い付かないコトも様々なジャンルの人間達が手を貸してくれる。
無頼派を気取ったブコウスキーにも仲間が居た。そこには人情があった。人情しかなかった。