October 07, 2017

地球の夢 '17 vol.4


11


近頃は許す時間さえあれば「9..11」にまつわる映画や映像や資料を読み漁っている。相当なエネルギーを消費するので、簡単な気持ちではなかなか手が出せない。

飛行機に乗る時、いつも脳裏からあの映像が現れる。例のビルに吸い込まれていくあのシーン。

2001.9.11、俺は風呂無しトイレ玄関共同のファッキン四畳半に居た。発売されたばかりのボブディラン「Love and Theft」を極力小さい音で聴きながら眠り、丑三つ時に目が覚めた。

何となくテレビを付けたら、例の突っ込んでいくシーンが繰り返され、緊急事態としてニュースキャスターは緊迫した表情を携えながら喋っていた。

センス皆無の冗談みたいな映像に言葉も失い、寝ぼけ眼のままに遠くのガールフレンドへ電話をかけた。

「大変よ、戦争が始まるわ」

足りん頭でも「報復」という名の争いの仕組みくらいは理解した。

あれ以来、あの事件を思う時には必ずボブディランを思い出し、「Love and Theft」のジャケットを見る度に「9..11」を思い出す様になった。

2017.9.11、偶然にも俺はニューヨークに居た。予定通り行けばその日にはまだニューヨークに居るんだと気付いたのは旅立つ一週間だか二週間前だった。

当日、前回は行ってなかった「その場所」に初めて出向いた。

俺はただ思った、「この場所で・・・」。難しい言葉は必要なかった。


あの事件がテロリストの仕業なのか国の陰謀なのかってな議論は後回しでいい。

まず事実なのはあの場所で苦しみ、潰され、燃やされてしまった人間が居るという事だけだ。 

恥ずかしい事に、つい最近知ったところでは、死んでしまった人達の国籍は87ヶ国にものぼるという。

何語かさえヒアリング不可な言葉で溢れているあの国。

ジミ・ヘンドリックスの言葉が脳裏から離れない、そして離さずに居るべきだろう。

「愛国心を持つんなら、地球に捧げようぜ」

50年以上前のアメリカ人の言葉。

日本人でもイタリア人でも友達と呼びたくない連中、中国人だろうが北朝鮮人だろうが仲間と呼ばせていただきたい人達、色々居る。

まず必要なのはそいつが何もかもを諦めたロボットではなく、人間なのか、そうじゃないのかを見分ける目と耳と鼻なんだと思います。




drecom_eroom5session at 06:26│Comments(0)│ │AMERICA 

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