芸術鑑賞

June 17, 2009

ウィットの全てとウィットが全て論

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吹きぬける風のようなおれの住む世界へ一度はおいでヨ
荒れ果てた大地にチッポケな花を一つ咲かせておこう


70年代吟遊詩人が颯爽と叫ぶ。

本日東京渋谷は文化村、溢れかえるカップル、群がる若人、泣き喚く小人、謎を解こうとする老人、そんなモノ達にまぎれ込みながら「奇想の王国・だまし絵展」鑑賞。

神聖な美術館において「おー、すごい」などとそんなベタな言葉、口が裂けても吐き出したくないが、小声で何度も呟く言葉、「おい、すごいぞ!」。


何百年前、すなわちレコードもなくカセットテープもなくテレビもなくインターネットなど奇跡の代物、喫茶店もなくギターもなく電気もなくティッシュもなくカメラなどヒップな絵空事、ものさしがあったのかすら怪しい時代のウィットと頭の回転が全ての額縁内での出来事。

何でもかんでも有り過ぎる位に有る時代に生きるこのひょっとこ野郎、俺は一体何者なんだと自問自答してみたくもなる。何百年も前に生きた画家達に足を向けて眠るなんて恥ずかしくてとても出来る訳がない。今や人間は選択肢が多過ぎ、全てに甘え、全てを見失ってしまう有り様だ。


オーケー、オールオーケー、ウィットの全てをこの目で目撃、どっかから盗んできた様な言葉をまくしたて垂れ流し、さも知った様な口調でのさばり続ける偽者博識人気取り野郎には直ちにモデルガンを突きつけろ。ウィットの意味さえ分からず血迷い続ける一般平凡人種に今こそ弾を八発命中させろ。

ルネ・マグリット、ウィットの神様、俺は捉える。「ウィット」とは美術の世界から生み出された言葉なんじゃないかと、もはや信じて疑わん。

部屋に戻り玄関を開けたその瞬間、俺には曲が舞い降りてきた。靴下も脱がずギターを手に取りノートブックに詩を書き殴れば七割完成、それは見事、頭の回転とウィットが全てのモノになった。

頭を通してからではもう手遅れ、緻密な計算など要らん、この感覚にのみ従い続ける。

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March 18, 2009

シミッタレたワタシの24時間物語

あっという間に朝は来る。洗濯機を回し、その間にロードバイク跨り三軒茶屋、水道料金を給水停止間一髪で払い込み、平日のど真ん中を色鮮やかに塗り替えようと、行きつけ「喫茶・エルマーノ」で初のモーニングを啜る。

部屋に戻れば洗濯物を吊るし上げ、一週間振りの洗濯に関わらず一人分の為、洗濯量が案外少ない事に戸惑いは溢れ、その逆に食器量の多さに刹那さが突き刺さる。

久方振りにギターを抱えれば五弦が弾け飛び、俺は天狗様が堂々と鎮座する神社で両手を合わせた後、ヒートウェイヴを片耳に聴きながら上野へと出向く。

それにはやはり電車に乗り込む必要があり、俺はあの日と同じホームに立ち、線路をぼんやりと眺めた後、両手を強く重ねて目を閉じ、せめてもの黙祷を捧げる。この行為をハナで笑う輩がおるとすれば、俺はそんな輩とは一生付き合う事はないと誓う。今や、線路を見る事自体に侘しさを感じる。線路を見る度、偽善者か知らんが、散っていった命に黙祷を捧げたい。

電車に乗り込んだ途端、イヤホンからはヒートウェイヴのMDの中に一曲だけ詰め込んだ、ルースターズ「ONE MORE KISS」が溢れ出し、その瞬間だけは両耳にイヤホンをつけ神経を傾ける。

渋谷で美術館チケットを探し、面影を探し、レコファンでヒートウェイヴのCDを漁るがご多分に漏れず見つからず、それ以外のCDを二枚引っこ抜く。

上野へ向かうには山手線の外回りなのか内回りなのか、その前に外回りがどっちで内回りとは一体何の事なのか、それさえ分からず丁度来た電車にとりあえず乗り込んでみる。車内のブラウン管に映し出された線路図を見て、明らかに逆方向に乗り込んだんとちゃうんけと相成るがそんな事はもうどうでも良い。車内で居眠りし上野に到着すれば「ルーヴル美術館展」鑑賞。

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1600年代のヨーロッパ絵画を鑑賞し、絵は写真よりも正確で、おぉ、こんな時代も確かにあったんかと偉そうにも腕を組んで感心するに至る。

今日は確かに美術館の気分だったが、俺は残念ながら気を紛らわす事に精一杯で、以前なら間違いなくついて来た筈の本物の相棒の不在にまたも寂しさが込み上げてくる。

周りの頭の弱そうなカップル、女達のまるでウィットに富んでない会話に何気なく耳を傾ければ、嗚呼、俺と付き合ってくれる女の子などもう金輪際現れんのではないか、偉そうにいえば「分かる奴」などもうこの世におらんのじゃないかと、本物の相棒の不在に、より一層の寂しさが込み上げてくる。

上野の街をぶらつき、雰囲気一発の定食屋でWBCを観戦しながら味噌汁を啜り、「此処ええよな」などと一人呟き、車内で居眠りし下北沢まで舞い戻る。

古着屋を何店か冷やかし、下北沢タウンに突如現れた「HANJIRO」を冷やかし、万事予定通り、アイリッシュ・ウイスキー「JAMESON」を手に入れる。

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これはそう、3.8(日)高円寺ムーンストンプで二杯程煽ったウイスキー、シミッタレの思い出ウイスキーだ。

あっという間に夜は来る。そんな訳で当分寝てない。

美術館が好きだ。神聖な空気が確かに存在する。

シミッタレの思い出ウイスキーでも流し込んで、静かに眠る事とする。

P.S 古着屋で発見した映画フライヤー、「THIS IS ENGLAND」。一秒で観に行く事を決める。こんなモンはフライヤーのセンスだけで決めさせていただいてまるで問題はない。反逆のスキンヘッズに愛を。


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January 25, 2009

旧国産車に確かな生きる活力を見い出す無免許男の物語

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「New Year Meeting」に参加。

そこは本物のワル、すなわち、【粋!モダン!ヒップ!】の見事三拍子を兼ね揃えたやさぐれモノホンおっさん不良グループ(と書いて【最も正しい人達】と読む)の会合。

その雰囲気、女、子どもに用はないぜと言わんばかり。フリーマーケットはあちらこちらに立ち上がり、俺は車の部品を買おうかどうか迷った。おっと、免許持ってないのは内緒だ。


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こんな車が街に溢れたらどうだ、こんな車が日本全国の駐車場を埋め尽くす姿を思い描いてみろ、そう、その自由な想像力で。きっと世界は平和になるんじゃないのか。

いや、もしこんな車ばかりが溢れたら、俺は逆に旧車が嫌いになってしまったりするのか。

何十年か前にはこんなイカした車が確かに街に溢れとったのだ。ところがどっこいすっとこどっこい今はどうだ、目も当てられんデザインばかりだ。


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こんな個人タクシーが街を走ればどうだ、俺は思わず、たとえワンメーターの距離とて手を上げずにはおれんかも知らん。

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こんなパトカーならばどうだ、俺は思わず乗りたい衝動に駆られ、ちょっとした悪さをしでかしてしまうかも知らん(それはいかん)。

俺は駐車場の出口付近で、展示を終えた車が持主の運転でそのまま走り去っていく様を小一時間眺め続けた。どれもこれも車同様、「貫き通す意志が見て取れるイカした古いタイプの風貌」持ち合わせたおっさんの運転であった。

普通の車が駐車場から出て行く様を小一時間も眺め続ける事が出来るか。出来んだろう。やはり、旧国産車が街に溢れれば世界は、いや、少なくとも俺は穏やかな気分になれるのではないか。

近くにそびえるフジテレビも巨大観覧車も俺には用がない。そんなモンは女、子どもに任せておけば良い。これでバランスが保てる。

俺は旧車を見て確かに生きる活力をもらった。俺に必要なのはこの興奮して止まん様な活力だ。

おっと、必要なものはもう一つ、そう、免許だ。危うく免許持ってない事すら忘れてしまう様な一日。

そんな訳でご多分に漏れず「第十八次・免許欲しいの症候群」に突入。

遅くとも30歳までには取得、夢は小学生の頃から変わる事はない、「ワーゲン、もしくは旧車を乗り回す事」だ。

それに乗ってツアーだ。車内BGMは無論、カセットテープオンリーだ。

おぉ、夢は死ぬまで途切れる事がない。


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フリーマーケットで掘り当てたイカし過ぎポスター、この興奮を忘れずに生きる。







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January 07, 2009

一線を画せ

午前中に部屋を飛び出しヘヴィタウン渋谷、おー、こんな時間に街を徘徊するのは何日振りかといった感覚。休みの日の午前中に街を歩く、これはもはや「一睡もしてない時」、この状態の時に限られてしまう。

夢の国「レコファン渋谷店」で溢れかえるCDとアナログ盤を根こそぎ高速スピードで引っこ抜き、現在、俺の頭の中に指令が出され続けとる「ヒートウェイヴをかっさらえ」に従う。


困難を極めながらも二枚引っこ抜く事に成功し、フラフラ状態で向かうのが「ピカソ/クレー展」。

そこでは様々な画家の絵が飾られており、やはり一際目を惹かれるのは「ルネ・マグリット」。

「シュルレアリスムとはまさにこれの事やで君!」といわんばかりのヒップ具合で、俺は以前もこの男の絵に強く惹かれた。

詳細は何一つ知らんくせに、

「やっぱりクールなのはルネ・マグリットやで君!」などと誰かの肩の一つも抱いてやりたいが、それ自体が「ちゃらちゃらしたファッション感覚」になり兼ねんが故、止めとく必要がある。

気付けば20時には眠りに就き5時起床。おー、まさかのおじいちゃん生活このワタシ、本日初仕事、後、初ライヴ。

いつだって休みなど何日あっても物足りんが、行かなくちゃ行かなくちゃ。


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December 14, 2008

ピカソを愛して一体何が悪いのか論

昼間15時、傘はささずに向かう街、アートタウン乃木坂。

二館同時の大型開催、「ピカソ展」最終日を見事に鑑賞。


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おっと兄ちゃん!お前がピカソなど語るなだと?

イエス、断固イエス、迷わず言うよ「SAYYES!!」。

そう、俺みたいなモンにピカソを語る権利など微塵もない。バットしかし、絵という表現方法についておいら改めてグッときた事だけは間違いない。

このアウトローは自分の心情を全て絵に託す。「自伝を書く様に絵を描く必要がある」とは「イカす指数」沸点大幅オーバー。

女に守られ女に責められ、その心情を絵に託す。同じ様な格好の絵を、違う女をモデルに書く。

芸術家に女は付き物だ、などとヌカしたら、やはり女からは嫌われるのか。

何、敵は多い方が良い、原動力の一つになる。

いや待て、やはり嫌われたくはない、俺だって愛されたい。


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抑えきれず、俺は美術館に於いて初めて図録なるモノを手に入れる。色んな観点から勉強させていただきたい。

とにかく俺はこの二日間を一人で勝手に大いに楽しんだ。ツケは必ず回ってくるだろう。よし、働こう、年末に向けて一気に加速しよう、そうしよう。夢は叶える為だけにある。


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暗闇の六本木タウンに一直線に浮き出た燃える様な空、すなわちイカし過ぎスカイ。

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June 04, 2008

麻布十番喜怒哀楽物語

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二時間程眠り(ねっ、寝たんかい君!)、何とか這いずり起き寝ぼけ眼で向かう街、未開拓タウン麻布十番。そこでは大竹伸朗、8月まで続く企画展第一弾「貼 Shell&Occupy」展が。やはり写真だけでは伝わりにくい細かい細かい作業の結果が堂々とこちら側へ訴えかけてくる。8畳程の小さいスペースしかないが、俺は毎月ここに通うのだろうと安易に察する。あんなモノ、作ろうと思って作れるモノではない。誰にも真似出来ん感性、真似したとしてもすぐ化けの皮を剥がされてしまいそうな個性。俺は今、一体どの立場におるのか。教えてくれ、なぁ。帰り道、偶然にも浅井健一個展の通りに辿り着き、至って自然の成り行きで二度目の鑑賞。色んなモノを見せつけられ意気消沈、しかし渋谷へ向かうバスの座席で何と400円発見、世界一早いスピードで拾い上げ、「おっ、これラッキーやんけ!!」と堂々の復活劇。きっと俺は単純な生き物なのだ。とにかく今、明日の事しか頭にはない。間に合えば是非新曲を組み込みたい。

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May 25, 2008

5月23日の芸術に触れる旅

’08.5.23(金)

ミッシェル・ガン・エレファントが代々木暴動を行ってから丸7年、この前日、福山にバスで帰った俺がこのライヴを見る事は出来んかったが、それから7年後の日、午前9時起床。言うならば仕事の日よりも早起き。そそくさと向かうのは恵比寿「森山大道写真展」。何故そんなにも早く出向くのかと問われたならば整理券。「森山大道×大竹伸朗」対論。これを見逃す程俺はクレイジーではない。ビート・ジェネレーション経由で知った森山大道の写真を舐める様に眺め回していく。写真家の存在異議を時に理解出来ん男、このワタシ。写真の本質よりも写真の中の人物、物、風景に目がいく俺の見方が悪いのか、被写体さえ良ければそれを撮り、拡大し、立派な額に収めればどんなモノでもそれなりに見えてくるのではないかといった、安易な考えが浮かんできたりもする俺はどうしようもない男なのか。

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間髪入れず次に向かう街、天下の六本木。そこでは浅井健一の個展が。そう、ダブル芸術鑑賞。俺はこの人の絵と音楽が好きだ。完全に自分の居場所を把握し掴んどる感がある。絵を見ると明るくなり、音楽を聴くと激しくなる。それを入場無料という粋な計らいでやってのける男、そのセンスの良さに敬意と脱帽を繰り返す。関連商品に次々と手が伸びてしまう程、明るい気分を味わう。

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恵比寿帝国へと引き返し、2時間に亘る「森山大道×大竹伸朗」対論を聞く。これも一つの芸術でトリプル芸術鑑賞。そこで帰り道、大竹伸朗「全景カタログ」に、「欲しい、欲しいの」感情が遂に歯止めが利かん状態と相成る。そして「宇和島に旅に出ようか」精神までもが俺の中にくっきりと根付いてしまう。


P.S

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あまりの敷居の高さに緊張し怖気づき、入口間近まで足を運んだものの、結局入る事のなかった洒落たカフェ。こういう所に普通に入れる男になりたいと思うと共に、決してそんな男になどなりたくないという思いも同時に強く感じる。六本木の昭和風情溢れる喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ。どちらが好きかと問われれば紛れもなく喫茶店。ボロボロであればある程それは良い。旅には終りがない。

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April 23, 2008

シンクロナイズド・ルノワール

そして本日、予定は流さず「ルノワール+ルノワール展」鑑賞。文化村に向かう途中、俺の大好きなブックファーストがいつの間にか跡形もなく消えとったのには大そう驚いたが、看板に目をやると、駅の近くに一時移転したと書いてある。しかも去年の10月。まぁ、そんな事はどうでも良いが、とにかくルノワール。絵画と映画の融合。多数あるプロジェクターからは息子の映画が、壁には父親の絵画が、そしてその二つが時にシンクロナイズ。イカす。ルノワール映画を絵画の解説付で観てみたい、そう、もちろん大画面で。

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P.S 長年探し続けたジャストサイズのオーバーオールを初めて立ち寄った古着屋で発見。こちら、少年と髭男の融合。値段もまさに低価格、三千円以下で俺好み。三千円以上の服を俺が手に入れる確率は97%ないといえる。

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April 03, 2008

狂気シュルレアリスム

次の日の事など何一つ考えてなかった為、昼間の仕事は休みを頂き、時間を有効に使う事を最優先し真っ先に向かう場所、恵比寿ガーデンプレイス。寝て一日を終えるつもりなどは毛頭ない。

「シュルレアリスムと写真・痙攣する美」
「知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展」


ダブル芸術鑑賞。理由などない、理屈など必要ない、シュルレアリスムの写真は格別、抜群で狂気、何かのヒントになれば良い。旨い食べ物に理由など要るか?好きな音楽に理屈など要るか?そんなモン何もない、良いか良くないかをただただ感じるだけでお構いなし。

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January 21, 2008

駆け込み寺は美術館

休みの日の度、昼間は美術館に出向く男このワタシ。今年三発目は国立新美術館「旅展」。名前も知らん画家達の「旅」に因んだ(因んでないのもあったが)絵。手間暇掛けて描いたであろう絵を見てその裏の背景を窺う。この画家達にはきっと「絵」しかないのだ。そして俺は自分が出来る事をやろうといった類の事に思いを馳せる。BGMはニールヤング&クレイジーホースで「グリーンデイル」。何故かは知らんがまるで禁断症状の様に聴きたくなる。


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January 17, 2008

新しい事がやりたい

歯医者をすっぽかしてしまい、夕方は「アンカー展」に出向く。アルベール・アンカー、ムンクさんとは全く違うタッチ。150年前の日常描写。俺はこれから何をやればええのか、といった類の事に思いを馳せる。イイモノを見た時、喜びよりも歯痒さが上に立つ。文化村近くにモダンな喫茶店があり、雰囲気に惹かれ近付くと、店は閉まって中には入れんかったが、入り口にアルバイト募集の貼り紙が貼ってある。俺はここで働くべきなんじゃないか、といった類の衝動に駆られ電話番号をメモする。そろそろ日常の景色を変える必要がある気もする。その喫茶店に早い内にもう一度出向き、気に入ったらその場で申し込んでみようかといった心意気。

P.S BGMは一日中ほとんど「グリーンデイル」。何とも言えん味わいがある、ある。

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September 27, 2007

バリー・マッギーさん

今日は今日とて外苑前、目指すはワタリウム美術館。住所は例の「神宮前」、その場所に再び足を踏み込む決意のこのワタシ(まぁ今回は通称「裏原宿」とはかけ離れた場所で一安心)、目当ては、鼻高々の絵一枚見ただけで行く事に決めた「バリー・マッギー展」。三時間、あわよくば四時間でも見る予定だったが、結果、一時間足らず。展示だけで読み物はほとんどなかった。ボロボロの山程あるビデオデッキやDVDデッキに絵が描いてある。ボロボロの山程あるテレビが積み上げられ円で囲んで、そのテレビから色んな映像が流れている。その円の中を覗けばDVDデッキがざっと積み上げられ配線がごちゃごちゃしている。壁がスプレーで塗り潰されていたりする。トラックが横に倒され、その上に五人が肩車で乗り、一番上の男が天井の高い所にスプレーで文字を書いている、という風景がそこにはある。これを人は前衛芸術と呼ぶのか。大竹伸朗がこれを見たら何というのか。来日時、下北沢や原宿の街の壁にもスプレーでペイントしたと書いてあったが、俺はその絵(ペイント)を見つける自信がない。鼻高々のおっさんの絵が書いてあれば話は別だが。俺は決して、行って損をしたと、そう書きたい訳じゃない(ほんまに)。だってそれはそれで楽しかったんだもの。

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June 01, 2007

明らかなオマージュと全くの無関心の交錯

本日、6月の始まりはほんまに休みらしい休みを満喫した。渋谷文化村にて「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」鑑賞。絵よりも何より、妻ジャンヌの切なさに俺は心動かされた。嗚呼、運命のアーティスト・ベスト・カップル。モディリアーニが病気で亡くなった日か、その次の日に「自殺」という、自分のお腹にナイフを突き刺した絵を描き、その次の日に、ナイフではなく、飛び降りで自殺を図る。そこで二人は永遠に結ばれるというビター・エンド。

そしてその後向かう先、渋谷O-EAST。ガガガSP観賞。俺はやっぱり今もこのバンドが好きだった。曲調が似たり寄ったりでも、音がそんなに良くなくても、そんなモンはどうでもええ。勢いと熱さと客の一体感は凄まじく、今年見たライヴ・ナンバーワン(比べるモンでもないけど)。喋りまくるMCでもいちいち正しい事をおっしゃられ、例の如く嫉妬する。汚い汚いパンクバンドは我が道を行く。さて、いよいよワタシも2daysが近づいてきた。見たいモンはいくらでも見るが、見るばっかりでは決してなく、次はこのワタシが見せる出番なのです。

6.4(月) 下北沢mona records
6.5(火) 下北沢daisy bar

下北沢のラブホテルに、流れ星を落としてやる。

P.S 写真は、「BRUTUS」、本気の「大松本論」。前々から好きな雑誌ではあるが、これは「本気」の雑誌です。

そして本日、真夜中に「さんまのまんま」出演。

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May 23, 2007

魂は頭蓋骨の一点に宿る

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山手線渋谷駅構内に張り巡らされた「大日本人」ポスター。例えば、どれだけ好きなミュージシャンのポスターが駅前に張ってあったとしてもカメラを構える事はまずないが、この男の場合、一筋縄ではいかん感がある。数ある「大日本人」ポスターの中で、俺の中で一際目を惹く、「カンヌ(笑)」。ある種、カンヌ映画祭を馬鹿にした感もある。逆手に取った感もある。そして、山手線構内からそのまま向かう先、上野・東京国立博物館「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像-」。向かっとる途中、「上野まで本でも読んで有意義に過ごしたろかしらん」の矢先、新宿駅で降りて行くおっさん達。俺の隣に座っとったと思われるおっさん、定期を置き忘れて行く。俺は定期を手に取り、構内に出る。出たはええが、どのおっさんか分からずじまい。俺は仕方なく電車に戻る。手には定期、「3万6千円」と書かれた3ヶ月分の定期。これはいかん。次の駅、「新大久保」で飛び降りる。車掌を探すが見つからず。そこでたまたま反対線路から来た新宿へと向かう電車がやって来る。俺は車掌さんのもとへと走る。それは、走る。車掌は定期を、「ありがとうございます」と受け取り、電車は新宿へと向かう。そして俺の乗ってきた電車は、俺を乗せず上野へと向かう。俺はひどく後悔する。なんで新宿駅で降りた時、定期に書かれた名前を大声で叫ばんかったんかと。そして思ってくる、錯覚してくる、俺は悪い事をしたんじゃないか。もとを正せば、定期を忘れるおっさんが一も二も悪い。しかし、俺が新宿駅で機転を利かせとけば、俺もおっさんも気分が良かった様な気がする。そこで、「俺は悪い事したんかも知れん」に繋がる。なんでこんな気分にならんといかんのかと。俺は色んな事を含めて、部屋を一歩でも出ようモンなら、必ず機嫌が悪くなる。「そんな大事なモン置き忘れんなや」とおっさんに言ってやりたいが、今回は俺も悪い事をした感がある。怒りをぶつける先がなくなる。他の輩なら、「俺は良い事したぞ!」と勘違いするか知らんが、俺は色んな事を考える。「中途半端な優しさ」を出してしまったと考える。中途半端は決して良くない。定期を盗むよりは100倍ええ事に違いないが、あんな事で「ありがとう」と言われても俺は素直に喜べんし、嬉しくはない。なぜかこっちが「ごめんなさい」になってしまう。ガラスのハートの持主このワタシ、例えば音楽の事で、「君の良さは全く分からないね」などとほざかれても「やかましい」で充分事足りるが、こういう出来事に関しては深く深く考えてしまう。そして、そんな事を考えながら、もって行き様のない不愉快な気分を味わいながら電車は上野に着く。本は読む気にもならず。そして本題、「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像-」。じっくり内容を理解しながら見るには4時間を軽く要する。俺は閉館時間の関係上、3時間ちょっとしか見れんかったが、もう凄いとか何とか軽い言葉で言っとる場合ではない。内容を書きたいが、もはや書き方すら分からん。とにかく何から何まで法則がある。数学の哲学レオナルド。建築物の如く作品を操るダ・ヴィンチ。俺は「阿呆やなぁ」とぶつくさ呟き続けた(もちろん良い意味)。きっと、とんでもなく面倒臭い人だったのだろう(もちろん良い意味)。とにかく、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」を多少でも知る事が出来て嬉しい。嗚呼、ハッピーエンド。

P.S 次回「モディリアーニ」、そして「大日本人」と芸術鑑賞の旅はまだまだ続く。

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April 26, 2007

岡本太郎の心意気

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下北沢から急行乗り込みそそくさと向かう場所、向ヶ丘遊園「岡本太郎美術館」(写真1、2)。その時間、まさかの12、3分。嗚呼、穏やかな街。緑の中、奥までもぐり込み「青山時代の岡本太郎」鑑賞(写真3)。概念を知らん男、岡本太郎。それは外に堂々とそびえ立つ、もはや何と比喩してええかすら分かりかねる建物からも確認出来る(写真4)。その緑地一体、岡本太郎の心意気大爆発、かどうかは知らんが、何とも気の利いた雰囲気。SL機関車(写真5)、当然ワタシも胸躍る。喫煙はさすがに不可の雰囲気の中、灰皿があちらこちらと鎮座する。岡本太郎の概念からすれば、普通の灰皿では許されん、という考えの下設置されたであろう、どないやねん灰皿(写真6)。ワタシはここで堂々と煙草を燻らせた。口ずさむのは、

そこはとても自由な場所だった そこはとても自由で溢れてた

素敵な場所に出会った、そんな一日。

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