小説風

June 09, 2007

中編・「お父さん」-五・六・七ー



葬式が始まった。進行役の人がマニュアル通りに事を進める。そこに感情はない様に聞こえる。いや、実際ないと思う。皿洗い、新聞配達、営業回り、それらと同じ仕事の一つだ。その人にとっては赤の他人にすぎん。おばちゃん、いや、お父さんの「奥さん」が挨拶した時、そして式の最後、棺桶のお父さんに花を入れる時、俺は泣き崩れた。ひでのおっちゃんの奥さんが泣きわめきながらお父さんにかけた最後の一言、

「お兄さん!ほら!あき君が最後に来てくれてるよ!」。

俺はその一言を一生忘れん。その言葉が頭に浮かぶ度、俺は涙が出る。



お父さんが住んどった団地の九階の部屋に戻って、おばちゃんから色んな話を聞いた。亡くなる直前まで元気だった事、パチンコに行った形跡がある事、最近よく、死んだ振りをしとった事。おばちゃんが死んだお父さんを最初に発見した時、
「またそんな事してー」
と、思ったらしい。ほんまに眠る様に死んだんじゃないか、という事だった。お父さんは好きなパチンコを最後にやって、それから逝った。計算しとったかの様に。亡くなる日の前日、病院へ行った帰り道、好物だったというすじ肉入りのカレーをおばちゃんに作ってもらう為、材料を買って帰った。おばちゃんは、
「じゃあ、明日の夜にでも作るね」
と答えたらしい。そしてその「明日の夜」を迎える前、夕方にお父さんは死んでしまった。「パチンコ」も「カレー」も、というのは、神様にとってはさすがに我儘な話だった。しかし。その日の昼、何も知らんこの俺が、東京で食べた昼食というのが、まさに「カレー」だった。そして、お父さんが亡くなる時間とほぼ同時期に、俺は気持ちが悪くなり、その昼に食べたカレーを残さず吐いた。こんな偶然がある筈ない。人間にはそういう察知する能力があるんだと思う。俺は確かにお父さんの変わりに、「最後のカレー」を食べたのだ。

「お父さんはあき君を連れて行こうとしたんだね」

誰かが呟いた。



東京に戻って来て、いつもの生活がまた始まった。お父さんが死んだ十日後、まさに衝動買いの様にパソコンを手に入れた。特別何も変わる事はない。急に体調が悪くなったりした時、

「またお父さんが呼んどるぞ」

「今度はお母さんに何かあったんじゃないか」

と思う様になってしまった事以外は。

俺はまだまだ強く生きたい。                    
       


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中編・「お父さん」-参・四ー


  
お父さんと話したのは、年末にかかってきた電話が最後だった。小学校の時に別れたお父さん。再会したのは俺が東京に出て来てから半年位経った頃だった。十年位会ってなかった。岐阜におる事、再婚した事、養子になり苗字が中村に変わった事、血は繋がってないが子どもがおる事、そんな話は会う前から何となく聞いた事があった。でもそんな話を聞いた時も俺は、「おいおい、このおっさんは何を言うとる」と理解に苦しんだ。そもそも俺にはお母さんと離婚しとるという事さえ、正確には掴めてなかった。ゴールデンウィーク、会いに行った。駅で敏とお父さんが並んで待ってくれとった。再会した時の感覚、あれを言葉で表せる程、俺には文才がない。お父さんは俺の事を「新たな家族」に紹介した。「はいはい、男前がやって来ましたよ」。その時に全てを悟った。「そういう事なんか」。許すも許さんもなかった。「新たな家族」、おばちゃん、さとみちゃん、しほちゃんとは自然と何となくすぐに打ち解ける事が出来た。その再会は楽しかった。でもやっぱり引っ掛かる事があった。お母さん。岐阜ではお父さんが「新たな家族」を作りワイワイ暮らしとる。でもお母さんは広島で一人。その事実が嫌で嫌でしょうがなかった。この中にお母さんが入るスペースはないんか。「お母さんは今頃仕事を終えて、御飯でも作って食べとる頃かな」と、そんな事ばっかり浮かんだ。印象的な出来事がある。車の中でお父さんと二人になった時、聞いた。
「お母さんとは離婚したん?」
「そんなモンとっくにしとるで」
そりゃそうよな。納得せざるを得ん。お父さんには多額の借金があった。詳しくは知らんが、それが離婚の大きな原因じゃないかと思う。そして借金の話になった、
「お父さんはもう借金返さんでええ事になってん」
「何で?」
「何でて事ぁないよ。そりゃ色々あるわな」。
それ以上は聞かんかった。「色々あるんじゃろうなぁ」と思っただけだ。夜行バスで東京に戻る時、見送ってくれる「新たな家族」を窓の外で見ながら、俺は色んな事を感じて、泣いた。そしてその一年後の夏、今度は彼女を連れて再び岐阜を訪れた。お父さんは彼女を可愛がった。新しい車を手に入れたという。さとみちゃんが言った。
「この車、あき君達が来るから買った様なもんなんだよ!」。
嬉しかったけど寂しかった。そのお金を、お母さんに回してやってくれんか。お母さんに悪い事をしとる気がしながらも、その時も結局楽しかった。俺のお父さんはこの人だけだ。彼女も楽しんどる様子だった。そしてそれがお父さんと会った最後になった。それから二年以上経った年末の電話。体の調子が快調ではない事はその間にも何となく聞いとった。
「煙草をあと一本でも吸うたら命の保障ない言われとるんや」
「で、吸ってないんじゃろ?」
「そやけど仕事もせんとずっと家におったらやっぱり吸うてまうわなぁ」
笑い話だった。俺も「それはいかんで」と言いながらも、特に問題はなさそうじゃなと思って笑った。
「今、ウサギを飼うとるんや。また年明けて落ち着いてからでも彼女と一緒に遊びに来たらええわ」
「うん、二月くらいに、行けたらええと思っとるんじゃわ」。

それが最後だった。



岐阜に着き、電車を乗り継ぎ指定された場所へ行く。さとみちゃん、しほちゃん、そしてひでのおっちゃんが迎えてくれた。
「よー具合悪いのに来てくれたなぁ、兄貴も喜んどるわ」。
早速しほちゃんの車に乗せられ、葬式会場に向かった。葬式が始まるまでにはまだ時間があるが、「先に顔だけでも見てもらおうと思って」という事だった。その時は一旦泣き止んどった。「俺は何しに来たんや」という気持ちにまた戻っとった。車が式場に着いて中に入る。遺影、花、準備の整った会場。「こっちだよ」と急かされ棺桶に入れられたお父さんを見た時。立ち尽くした。あんなのは立ち尽くすしかない。それしかない。遺影の、俺が知らん頃の写真と棺桶の中に入れられた顔を交互に見ながら、今度は顔も隠さず泣けるだけ泣いた。
「勝手な事ばっかりしやがって」
「馬鹿みたいな顔しやがって」
そう思いながら泣いた。今すぐにでも起き上がって「よぉ!」とでも言いそうな、そんな顔だった。言って欲しかった。控え室みたいな所に行くと、滅多に会う事のない、親戚の人達がいっぱいおった。「会う事がない」と言うより、俺にはほとんど記憶にない人達ばかりだった。
「私の事覚えてる?覚えてるわけないよねぇ。だってこんな小さかったもんねぇ。こんな機会でしか顔合わせへんなんて寂しいよねぇ」。俺は東京で音楽をやっとる事、兄ちゃんの嫁はろくでもない奴で、俺は敏と血が繋がっとると思えん、といった類の事を話した。



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中編・「お父さん」ー壱・弐ー



二〇〇五年、一月の中旬、いつも通り仕事を終え、夕方自転車で部屋に戻ろうとした時だった。急にめまいがして、気分が悪くなり、吐き気がした。午前中、仕事中は何一つ問題がなかったのに、だ。唐突と言う以外例え様なんかない。何とか片道三十分の道のり、自転車をこぎ部屋に辿り着いた。俺はあまり体が丈夫であるとは言えない。しかし、滅多に吐いたりする性質ではなかった。それが全部吐いた。昼間仕事場の食堂で食べた物、コーヒー、水、何も出ん様になってもまだ吐いた。「何で急にこんな展開になるんだ」と理解に苦しみ、しかし明日も仕事だ、その日は静かに黙って眠る事にした。音楽もかけずに、だ。夜二十一時頃か、電話が鳴った。画面には知らん番号。俺はそれどころではないと無視を続けた。その後も何回か鳴った様だが、その日俺が電話に出る事はなかった。翌朝、まだ気分は悪く、仕事を休む事にした。とても三十分かけて仕事場に行き、仕事をこなし、また帰ってくる、そんな気分ではなかった。ゆっくり眠る事にした。ふと目を覚ますとまた知らん番号からの着信履歴が残されてあった。無視を決め込みまた眠る。そして次起きた時、今度はメールだ。送り主には「敏晃」とある。すなわち、俺の兄ちゃん。断っておくがこいつとは一年一回連絡を取ればまだ良い方、そんな仲だ。ぼんやりしたままの頭でその文章に何気なく目を向ける。「高 正登死去」。つまり俺のたった一人のお父さん。たった一行。いつだってこいつはわざとこんな怖い言い回しをしやがる。しかし。冗談にしては程がある。俺はぼんやりした頭で夢なんか現実なんかが全く分からずまた眠る。そして目が覚める度、「夢か、夢だったんか」となる。そしてメールの文章を確かめる。「やっぱり夢じゃない」。身近な人が死んだ時っていうのはきっとこういうもんだ。何回も何回もそんな行動を繰り返す。状況を未だ掴めんまま、やっと夕方電話をかけてみる。何回もかかってきとった、あの知らん番号に。その電話に出た声は、お父さんの再婚相手、相手の人も再婚で、前の旦那さんとの間に出来た子どもを引き取っており、俺と年が近い二人の女の子、新たな家族揃って岐阜に住む、その一人のさとみちゃんだった。
「俺、昨日の夕方から具合が悪くなって電話に出れんかった。敏から聞いたけどほんま?」
「そうなの。で、今日お通やで明日が葬式なの。あき君にも来て欲しくて」
「俺まだ具合が良くないんよ」。
その時点では正直俺、葬式に行く気なんかなかった。そしてそんな会話をしながらも、「一体これは何の話なんだ?」と意味が分からんかった。一回電話を切る。これはほんまの出来事なんかと考える。涙が出る気配もない。ただソワソワしとった。小一時間位経ってまた電話をかけた。
「やっぱり俺行くわ」
「でも具合悪いのに無理して来ても良くないよ」
俺はいつの間にか、絶対行くという気持ちに変わっとった。電話の声はお父さんの弟、お父さんが唯一可愛がっとったというひでのおっちゃんに代わる。
「あき、無理せんでええ、その気持ちだけで充分や。体調が良くなってから線香の一本でもあげてやったらええ」
「いや、大丈夫や。明日朝一番の新幹線で行くわ」。
そして準備を始める。「一体俺は何の準備をしとるんや?何をしに朝一番で岐阜に向かうんじゃろう」と呟きながら。何が何かまだ分かってない。体調は確かに良くはない。でもとにかく岐阜に行く事は決めた。休みを取る為仕事場に電話をかけ店長を呼び出す、
「今日は体の具合が悪くて休んだんですが、実はさっき連絡があってお父さんが死んだんです。今日は通やなんですが、明日の葬式には出たいんでもう少し休みを下さい」。休む為の良くある嘘のパターン。でも俺はこんな嘘だけは絶対につかん。嘘と捉えられたら困ると思った。店長は言った、
「あらら、お気の毒に。体は大丈夫か?分かったよ、気をつけて」。
ほんまに心配してくれとる様な、そんな声だった。でもやっぱりそんな話をしてもまだ、お父さんが死んだという事、これは信じてなかった。

弐  

翌朝、普段は滅多に乗る事がない新幹線に乗り込んだ。微熱が続いとった。手には喪服が詰まったバッグなどを抱えとる。「こんなモン持って俺は何処行くんや」、あるのはそんな気持ちだけ。お父さんの事を何気なく考えながら窓の外を見とった。持ってきたウォークマンでも聴くか。何曲か過ぎた後、加川良の「その朝」が流れ始めた。

寒いある朝 窓辺に立っていたら 
かあちゃん連れて行く 天国の車がやって来た
やがて俺達 一人ぼっちになるのかな 
でもよー 俺が死んだら また母ちゃんに会えるよネ 

車屋さん 車引きさん 静かに頼みます
あんたが連れてゆく それは寝てる母ちゃんだからネ
やがて俺達 一人ぼっちになるのかな
でもよー 俺が死んだら また母ちゃんに会えるよネ

涙こらえどこまでも 車の後を追いかける
でも母ちゃんが墓に入る時 目の前がかすんだヨ
やがて俺達 一人ぼっちになるのかな
でもよー 俺が死んだら また母ちゃんに会えるよネ

もちろんお母さんは元気だ。そうじゃないと困る。広島でたった一人で暮らしとる。いつかええ思いをさせてやりたいと思っとる。俺はその唄の「母ちゃん」の部分を「お父さん」に変えて、また「母ちゃん」がもしもそうなった時の事を考えて、泣いた。新幹線の中で、その話を聞いてから初めて涙が出た。ハンカチも何も持ってない。でも関係ない、顔を出来るだけ隠して、ただただ泣いた。


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