June 07, 2018
猿小屋ロマン '18
遂に2018のロックの日が近付いてきた。去年末から決まっていたこのダブルアニバーサリー。
東京ワンマンショーは去年12月のバースディタイム以来。今回はゲストもオープニングも無し。
御多分に漏れず、既に武者震いの類いに苛まれている悩ましきポッピン野郎このワタシ、
今月はなんとコレ一本との闘いだ。断固一ヶ月分、吠え踊り散らかしたい所存なんです。
ファーストアルバム発売日の2013.1.14、「猿小屋レコーズ」などと本格的に屋号を掲げた。最初は半分のハッタリと本気の心意気だけだった。お金の計算ばかりしていたし、それは今も何ら変わりない。
因みに「猿小屋」なる称号は、掲げるずっと前から自らの部屋の事を勝手にそう呼んでいた事に由来します。
随分反対もされたが、そこに関しては気取って横文字にしたり、凝った名称を付ける気は微塵もなかった。「猿小屋」こそがクールだと思っていた。
それは今も何ら変わりません。そしてこの5年間だけでも様々な仕組みとカラクリを学んできた。
街でオレの事を「あぁ、アイツか。猿小屋のな!」ってな会話が成り立ったりする。ソレって最高に痛快だろう。それでもって、更に痛快に出来る方法を常に思案しています。
2009.1.14、初めてCCOのステージで唄った。ゲストもオープニングも無しのワンマンショーだった。その時にいただいたギャランティでギター型のネックレスを手に入れた。
そのネックレスは無論、今もオレの首元にぶら下がっている。
1.14という共通した日付、CCOと猿小屋の関係性についても当日、語り明かしたいと思っています。
ハッピー極まる事に予約数は既に定員数を突破しています。バット、キャンセルってのは常に悩ましき賜物であるが故、受付は当日まで続行します。
椅子は35席、それ以降は立見になります。19時からは愛しのロッキンガール、Tattaがロックの日にまつわる小粋なレコードを次から次へと回しているので、早めの来場をお待ちしています。
何処かの街で会った人達が、突然何の前触れもなく現れてほしい。その瞬間こそロマンでしょう。オレはどうやら多くを望み過ぎているけれど、ロマンには常に従順でいたい。
とにかく何でも自分でやってみるって事だ。やってみて初めて気付く事が塵の如くある。
火は常に点いている。しかし、燃やし過ぎると知恵熱が出やがるって仕組みだ。
オールオーケー、抜群の火加減で楽しもうぜ、ジャングルライフ。
敬具。
May 15, 2018
大地オンマイマインド '18
怒濤の北海道デイズから猿小屋へと果敢なるカムバック。オーケー、オレは無傷だ。
旅から戻り玄関を開けた時、オレはいつも必ずこう叫ぶ、「ゴール!」。コレは一種の通過義務だ。
シャツ5枚、サスペンダー2本、パンツ&靴下少々、あとは全てライヴに必要なモノ達を担いで旅に出た。
セットリストは変幻自在、トラブルに愛され、トラブルを愛し、食を楽しむ余裕などない。
毎日毎日、本番前と本番後には咳が出続けていた。しかし、本番中だけは咳が止む。そして、最終日の千歳を終えた後にはもう出なかった。
闘い続けるあん畜生このワタシ、最終日を終えた直後にまず思った事は「明日はないんか?」だ。
オーケー、オレは無傷だ。全ては大地と人の温もりがあったからだ。
思えば一時間ステージの日が多かったが、そんな日は大概一時間を軽く超えたステージを演っていた。
「明日に備えて今日はこれくらいで・・・」、そんな抑えは出来ないってな仕組みだ。
出しゃばらない様に気を付けながらも、演りたい曲がどんどん増えていった。
「マリーと暮らす」、「草臥れて、夢を見て」、「ラウンドミッドナイト」、「破れたズボンの後ろポケットから」、今はあまり演ってない曲のリクエストが多々あった。久方振りに唄い、全てを一軍に返り咲かせた。
そしてまだ盤になってない曲のリクエストまであった。
「元ヤ○ザの人が泣いてたよ」「貴方の唄はそういう詩なのよ」とスナックのママが云った。受け取ったモノは、杖にして歩くには充分過ぎる言葉だった。
驚いた事に札幌から14日間毎日、懲りもせず来てくれた人がいた。なんて御礼を云えばいいのだろう。
北海道二日目の静内の夜、宿に戻った時、「オレって今日、ひょっとして死ぬんじゃないかな」と思った。咳が酷かったワケでも病気でも何でもないが、ただ何となくそう思った。
そして早朝、AM7:00、寝起きの悪いオレがいつもより爽快に目を覚ました。死んでない事に一人で豪快に笑った。
オールオーケー、オレは無傷だ。オレを殺すなよ、縁起でもない。
全てを書き記すには土台無理がある。一緒に笑ってくれた全ての人に感謝します。
オレは「ありがとう」に変わる言葉を探し続ける。
April 27, 2018
the レッドウィーク '18
「アンタほどややこしい男は知らへん」が脳内で何度もフラッシュバックする。
今日の昼間には37.9℃の熱があった。火を点けるタイミングを間違えたらしい。
久方振りに薬に頼った。そして平常心を装うべく、いつもより軽快な足取りで映画館に出向いた。
旅に出る前にやっておくべき事は、掃除機をかけたり、ギターやブーツを磨いたり、ハードケースやトランクを補修したり、レコードを片付けたりしておくって事だ。
明日の今頃には恵庭という町にいる。パイロットが腕利きの操縦をしてくれる限りは。
去年からずっと企んでいた事が明日から遂に始まる。
15日間14本の熱戦。すなわち、コレってそのまんま夏の甲子園に当て嵌まる。
愛すべき高校球児との違いがあるとするなら奴等は団体戦、オレは個人戦って事だ。君達に負けるワケにはいかないって仕組みだ。
北海道はまだ寒いらしい。火を点けて体温を上げよう。
April 13, 2018
2018 ロックの日
下北沢にCCOという店がある。今や、もう随分と付き合いも長い。この店での様々な出会いがなかったら、今のオレはまるで別の場所に居たかも知れない。
初めてこの店に出演したのは2009年1月14日。オレにとっても多分、初めてのワンマンショーだったと思う。
その時に貰ったギャランティを何か特別なモノに交換したくて、ギター型のネックレスを買った。そのアクセサリーは今も無論、オレの首にぶら下がっている。
その後、何度かライヴを重ね、親交を深めていたある日、当時の首謀者から「今から来い」と突然電話がかかって来た。
バンドでのレコーディングの話だった。そこには首謀者と当時の店長とオーナーも居た。あのソファでの会話は今も鮮明に憶えている。候補に挙がっているバックミュージシャンは百戦錬磨の凄腕ばかりだったし、状況を把握するまでにはかなりの時間を要した。
オレは素っ頓狂な質問を繰り返していた、「そういう話は他の出演者にもするんですか?」だとか「何故オレが?」だとかヌカしていた。
返事は「お前は馬鹿か?」だった。嬉しかった。
2013年1月14日、そのバンドレコーディングでの曲、他にも録り貯めた曲を収録した「ダンス・ウィズ・ザ・ドキュメンタリー」を出した。
それを機に、以前から名乗っていた「猿小屋レコーズ」って名を一気に全面に押し出す事にした。
「ダサい」「止めとけ」「馬鹿らしい」、色々な意見があったが、ありきたりの気取った名前は嫌だった。そして今、猿小屋といえばせーのでオレの名前が挙がるってな仕組みだ。ラッキーだ。
初めてCCOに出演した日から丸4年が経っていた。因みに「1月14日」ってのはお父さんの命日だ。拘りはいつだって頭の中にある。
さて、2018年のロックの日は、実は去年の末から既におさえてあった。
CCOは6月で11周年、オマケに猿小屋は5周年。ダブルアニバーサリーとしておさえるべき日付は6月9日でキマりだ。
当初、あれこれと色んな企画が頭に浮かんでは消えたが、結局は完全なるワンマンショーで演らせていただく事に落ち着いた。
CCOのステージに上がるのは何と丸2年振りです。首謀者も当時の店長も今は独立してそれぞれの店を構えています。しかし、オレにとってはまず「CCOがあってこそ」です。
チケット料金は出来るだけ控えめに設定しました。その分、沢山呑める様に。
ロックの日、沢山遊びに来て下さい。
DJはTatta、猿小屋からも沢山レコードを持って行きます。パーティしようぜ。
敬具。
https://akinoritaka-new-hip-moderns.jimdo.com/
April 09, 2018
ガリチュウ言及 '18
「ガリチュウ」という呑み物がある。酎ハイに寿司のガリを入れた呑み物だ。発祥は大阪らしい。
大阪に行く度、今度こそは呑むぞと意気込んでいたが、毎回ソレにありつく機会を逃していた。
旅に出る直前、3月いっぱいで店を閉めるという横須賀のneirocafeに出向いた。たかだか二回しか行った事がなかったのに、そこは気付けばとても大切な場所になっていた。閉まる前にもう一度、どうしてでも出向く必要があった。
そこにはたまたま「ガリチュウ」があった。オレは遂にソイツにありつき、次から次へと呑み干しながらグラスに沈んだガリをいただき、マスターと価値しかない与太話を朝まで続けていた。
さて、旅の初日は初めての街、四日市だった。 バスで名古屋へ向かい、名古屋から四日市行きの電車に乗り換えるスケジュールだった。
時間は充分に取ってあったが、そのバスが何と後ろからトラックに突っ込まれる事故に遭った。バスは4時間程度停車し、間に合うのか否かさえ不明な境地に立たされた。
お母ちゃんの口癖、「アンタほどややこしい男は知らへん」 が脳内で何度もフラッシュバックした。
ジャスト21時、滑り込みで会場の「JAZZSPOT VEEJAY」に辿り着いた。会場は満席に見えた。ロクな挨拶も出来ず、状況も掴めずその足でステージに立ち、5分後にはセッティングさえ済ませ颯爽と唄い出していた。
「これこそが真のチャックベリースタイルなのか」とか思いながら、歌詞だけは間違えない様に唄っていた。チャックスタイルを更に貫くとすれば「ステージを終えたならその足でキャデラックに乗り込み、颯爽と次の街へ向かうべきだな」とか思っていた。
しかし、残念ながらオレにはキャデラックどころか免許さえない。オマケに学も。ステージを終えたオレに出来る事ならただ一つ、この街に留まり、この街を落ち着いて知ろうと企む事だ。
午前3時、オレはようやく落ち着きを取り戻し、連れてきてもらった立ち呑み屋にいた。ついさっきまで知らんかった街が、既に大好きになっていた。
ふと壁を見るとでかい字で「ガリハイあります!」と書かれていた。「ガリチュウ」と断固同義に違いない。
即座に注文したオレに、横にいたミラーガールが問った、
「ガリハイって何ですか?」
「知らんの?お寿司のガリを入れた酎ハイや!コレがほんまに美味くてな。いやー、四日市にもやっぱりあるんや!嬉しいわ」。
さて、「ヘイお待ち!」と大将が右手で差し出してくれた「ガリハイ」にはグラスに丸々一本のガリガリ君がヤケに得意気なツラをして酎ハイに浸かっていた。
ミラーガールが笑いながら云った、
「全然ちゃうやん!」。
そこに恥ずかしさはない。「色々あるで!」と思っただけだ。
そして、この街が更に好きになったってワケだ。
April 06, 2018
風来坊ソング '18
19の頃、「馬鹿は相手にしないのさ」というタイトルの曲を唄っていた。
「腐り切った馬鹿共が俺の前をウロウロとしてんだ。面倒だ。馬鹿は相手にしないのさ」というサビだった。ソレを未だに時折、口ずさむ。
四日市、名古屋を経ての関西デイズ、計12日間の旅を終えた。ハイライトが多過ぎてまとめる術などない。
「話題には事欠かない男」、ソレが生きるテーマだ。その12日間の出来事だけでも一冊の分厚い本が出来るだろう。
その中で新たに出会えた人間達、旧知の仲間の中に馬鹿は一人もいない。いや、俺も含め皆底無しの馬鹿なんだろうが、馬鹿の種類がてんで違う。
すなわち、その中に、「いただきます」もロクに云えん様な馬鹿は一人もいないって事だ。
静かに喋っている時も、バァーと捲し立てている時も常に言葉は溢れている。
会いたい人間が沢山いてくれるからこそ生きていられる。
昨夜、敬愛する加川良大先生の命日で、下北沢で行われたトリビュートライヴに出向いた。
ラストのラスト、加川良生涯ラストライヴになってしまった日の、最後のアンコール曲の音源が会場で流された。勿論、本人もそれが人前で唄うラストになるとは思ってもいない、博多での音源だった。
周りからはすすり泣く音が聞こえてきた。オレだって泣こうと思えば存分に泣けたが、ソレより「なんでくたばりやがった!」ってな気持ちの方が強かった。
オレにもいつかはそんな日が来るだろう。ソレは間違いない。
2018、オレみたいな馬鹿でもやれる事は全てやろうと思う。常に八歩先の事を考えている。
次は怒濤の北海道15デイズ、ソレがたとえラストになったとしてもやるべき事はやる。
馬鹿で独自で粋で気狂いでクールな人間が好きだ。
March 16, 2018
ヘアースタイルブギ '18
遂にパッケージングまで完成した。最終作業中はプレス確認も兼ねて、永遠のリピートで回していた。ジェニーのチープヒップなラジカセから唾が飛んできている様なサウンドだった。
今、刷り上がった歌詞カードを読みながら最終×最終の確認をしていたら、誰にも気付かない様なミスを二ヵ所見つけた。細か過ぎる部分を含めればハニー、なんと五ヵ所もあった。眉間に皺を寄せてあれだけ確認したってのに。
きっと、完璧ってのは来世でも無理なんだろう。
でも心配はない。ホクロの位置が0.05mmほど下がったとて誰も気が付かないってなレヴェルのミスだ。
胸躍る疲労感だ。あとはトぶだけ。そして今は中途半端に刈り上げてしまった髪の毛にどうオトシマエをつけるかってのが課題だ。
予定通り、明日から発売します。
そして次は初の三重から名古屋、関西へ飛びます。
愛しの神戸では次へ向けたレコーディングも行う予定だ。
そう、髪の毛など八の次でいい筈だ。
'18.3.16(金)
【Laguna & ジェニーpresents <EVIL vol.8>】
東京 / 下北沢ラグーナ
Jenny & Akinori Taka
木杉建太朗
藤原健人
今泉まな
鈴木実貴子ズ(名古屋)
OPEN 18:10 START 18:40
ADV ¥2000(+1d) DOOR ¥2500(+1d)
March 15, 2018
the style's セルフライナーノーツ,
Ag&Eg&Vo&Cho / ジェニー
(
★レッドヴィニール盤仕様
初めてセルフライナーノーツってヤツを書いてみる。
俺は、偉人の古いレコードを回しながらライナーノーツを読むのが何よりも好きだ。雰囲気が伝わってくるから。
なので、これを読みながら「the style」を聴いてほしいという願いを込めて残しておきます。
1, ヘアースタイルブギ(19)
Vo&Ag / 俺
Ag&Cho / ジェニー
元々は19歳の時に書いた曲で、それで(19)と足した。歌詞は東京に挑む為だけに稼ぎまくっていた頃、周囲の浮ついた連中に皮肉を込めて、捻くれた胸中で書いた。それを今の俺が唄い、マイナーコードを得意とするジェニーがギターを弾くというスタイルで試してみた。ジェニーには「テーマは昭和歌謡且つ演歌、そしてコミックソング風で茶化す雰囲気にしたい」と伝えた。歌詞は恥ずかしい部分もあるがわざとそのまま唄った。手拍子を加えて皮肉感を煽り、ジェニーのコーラスでファッキン感を煽った。ほとんど録り終えた状態のモノをジェニーと聴き返し、「どう?これ、果たして意図したテーマは伝わるんか?」と聞いたら、「いや、マジメにかっこいい」と返ってきた。これは俺にとっての歌謡曲だ。結果、一曲目になった。一人ではやらないが、二人でやると楽しい。
2, 友達
Vo&Ag&Hp / 俺
Vo&Eg / ジェニー
ジェニーと知り合った頃、ヤツが適当に唄ったデモテープを猿小屋に持ってきた。その中にこの曲があった。「歌詞を書き直して共作にしよう」と提案した。直ぐに歌詞が出来た。シンプルな歌詞で、新しい友達(ジェニー)と、久しく会えてない友達の事を思って書いた。オーバーダビングはなるべくしたくないと思っていたが、陽気な感じに仕上げるべくギター四本、そしてハーモニカを吹きまくった。このアルバム中、一番トラックを使った曲になった。これも一人ではやらない。二人でこその曲だ。
3, 憂鬱のど真ん中
Vo&Ag / ジェニー
Eg&Cho / 俺
「これは二人の名義で発売するアルバムだから、ジェニーの曲も用意してくれ」と伝えて、ジェニーが持ってきた曲。俺は普段弾かないエレキギターで普段やらない事をやるべく、ジェニーのグレッチを歪ませてボトルネックで実験したり、カッティングを入れたり、色々と試してみた。それらを入れた仮バージョンを聴き返したら、全てが不要に思えてジェニーに聞いた、「おい、このギター要るか?」。ジェニーは「これもええで!」と云っていたが、俺はただの目立ちたがり屋のあん畜生にはなりたくなかったので、控えめなカッティングだけを録り直した。新鮮な体験だった。
4, トップオブザワールド
Vo&Ag / 俺
Eg / ジェニー
年明け一発目の二人でのライヴの際、この有名なカーペンターズの曲をカバーする事にした。無論、歌詞は日本語で書き直した。原曲とは視点を変えた男女の物語として。快楽に溺れた男の生き様として。この歌詞が出来た時、「ライヴが終わったらちょっと遊びで録音でもしてみるか?」とジェニーに伝えたのが全ての始まりだった。俺もリハビリをして感覚を取り戻したかったし、それにはうってつけの曲だと思った。ところがやり出したら遊びで終わるワケもなく、気が付いたらジェニーのギターを録るだけで6時間以上かかっていた。「あーもう一回」「いや、それは違う」「もっとこういう間で」とか繰り返していた。猿小屋で全てを録ると決め、その時にジャケットのイメージも脳内では仕上がっていた。「これは忙しなるで」と笑った。締切を3月に定め、突き進む事にした。
5, 詰め込んでよ
Vo&Ag / 俺
Ag / ジェニー
曲が山ほど録り貯めてあるレコーダーの中にこの断片があって、発掘した。詩はなく、適当に唄っていた。頭の中のジュークボックスについて。偉人は死んでも、残ったレコードに針を落とせば一緒に歌えるって事について。「君にも分かるかな?」って事をテーマにしたかった。しかし完成しないまま、歌詞カードの入稿期限が過ぎようとしていた。朝までには入稿と迫った真夜中、歌詞を悶々と考えていたら、突然サビのメロディが新たに降ってきた。そこで一気に広がり、急に加速して完成まで持ち込んだ。入稿画面の空いたスペースに歌詞を埋め、朝方にそのまま入稿した。あんなやり方は初めてだった。興奮した。そして、歌を録音したのが3月12日だ。
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そして今は3月15日。丸2ヶ月が経過したらしい。当初、音の善し悪しなどはどうでもよく、ただダイナミック且つチープで粋なナチュラルサウンドを目指しました。
PC利用無しのアナログ手法、L-Rの振り分け具合からマイクの違いまで、この文章を読みながら聴いてもらえたらまた違う楽しみ方も出来るんじゃないかな。音楽の楽しみ方など千差万別。
俺はスピーカーの前で腕組みして、出来てくる曲を確認しながらジェニーに何度も問いました、「ところでジェニー、こんな聴き方で、こんな細部まで聴くリスナーっておるんか?」。
とりあえずの充実感はあります。しかし常に次の事しか考えられない性分なので、次の次の次くらいまでは既にイメージがあります。
楽しもうぜ、ジャングルライフ。年末にまた笑える様に。敬具。
March 12, 2018
答えをくれ '18
かれこれ同じ曲を、もう2000回以上は聴いている様な胸中だ。
昨日オーケーだったモノが今日にはボツになり、もはや何がクールで何が素っ頓狂なのかさえ定かでない始末。
壊しては作り、作っては壊して、いまだ完成とは声高に呼べない有り様。
こんな事を繰り返していたら、永遠に完成の日はやって来ないだろう。そしてオマケにオレはこう思っている、
「もう一回、唄を録り直したいな」。誰にも気付かない部分でオレだけが拘っている。
エンジニアの職人ですら云っていた、
「そんなモン、答えなんかないで」。
天下の大瀧詠一大先生が「20th エディション」だとか「30th エディション」だとかと銘打って、同じアルバムをリマスタリングしていた理由が今こそ分かる。
だいたいが、蓄えた髭を0.5mm短くしたとて、ほとんどの他人が気付かないのと同じだ。ほとんどが「ここが変わった」と云われて初めて気が付くってな話だ。
今日は盤面印刷を並行した。これはジェニーに任せた。その傍らでオレは怒りに震えていた、答えがないって事に。
ジェニーからはとっくにオーケーが出ている。「これでいいじゃん」とヤツは云うが、「もっと行ける」と一丁前にヌカしているオレがいる。
気分を変えようと、伸びてまとわりつく邪魔なモミアゲを根こそぎ切り落とした。
やりだしたら収集がつかず、バリカンを取り出し、まとわりつくファッキンな部分を刈り込んだ。
長いのもいいし、短いのもいい。ローが強いのもいいし、ハイが効いているのもいい。
すなわち、好きにやるってのが答えになるんだろう。
書き出したらキリがないので、最後にジェニーさんが書いた「憂鬱のど真ん中」って曲の唄い出し部分を残しておきます、
「見失う行く先、アンタは迷子」
いい事云うぜ、ジェニーボーイ。
March 11, 2018
オーケーをくれ '18
年が明けて早々、相棒のジェニーに云った、
「ちょっとスナック感覚で録音でもしてみるか?」 、
それこそが全ての始まりだった。
神経質が服着て歩く男このワタシ、スナック感覚で終われる様な作業じゃないって事は始めから分かっていた筈だ。
録音、制作、仕入れ、デザイン、発注、受注、販売、レジ打ち、全てを一人でこなすには到底無理がある。
今日に辿り着くまでに至り、レコーディングエンジニアの職人、ライヴPAの職人が口を揃えて云っていた、
「餅は餅屋」に頼め。
レコーディングエンジニアはライヴPAをやらないし、ライヴPAはレコーディングエンジニアをやらない。
そしてオレの最たる役割は何かって事は存分に分かっている。曲を書いて唄う事「だけ」でいい筈だ。
あれからジャスト2ヶ月、気付けば今日は3.11。いまだ1日に何時間費やしたとて光が見えず、勉強しても、いくら勉強しようが、オレってひょっとして「今世紀一のノータリン」なのかもなどと不貞腐れては嘆く始末。
自らに課した締切はとっくに過ぎている。そして終わりはいまだ見えない。今直ぐ餅屋を呼びたいが、まずは自らが全ての労力を知っておくべきだとも思っている。
天下の山下達郎大先生が仰っていた、
「オーケーなんか出した事がない。1分1秒まであがく人間なので。もう締切ですと云われて諦めるだけです」。
スナック感覚で録って、「気付けば世に出てました」ってのが理想だ。
書き出したらキリがないので最後の曲にして最新曲、「詰め込んでよ」の詩を残しておきます。
死ぬには早過ぎる、3.16に会おう。
ジュークボックスの中に詰め込んでよ
コイン集めて奴を蘇らせる
君も分かってくれたならいいな
光集めたら夜も怖くない
コーヒーショップのマッチで灯した
部屋に揺れる光の向こう側で奴が回ってる
遠く遠く離れても時々思い出す
遠く遠く離れてても距離は感じない
ジュークボックスに詰め込んでおけよ
心の奥底に忍ばせておけよ
埃払い磨いておくよ、共に唄える様に
君にも分かるかな