June 2007
June 30, 2007
俺の部屋のエアコン
昨夜の事。エアコンとそのリモコンまで壊れとる筈の俺の部屋。「クーラー?ガラでもない」と書いたまさにその直後、俺は試しに、そう試しに、ほんまに壊れとるかどうか、それを確かめるだけの為にリモコンのスイッチを入れてみる。そして、まさかまさかの涼しい風。勝手に壊れて勝手にたまに直る俺の部屋のエアコン。確認を終え、すぐ電源を切ろうとするが、つい一時間弱。快適を極めた部屋でジャズ観賞。俺は暑さに負けたのか、はたまたクーラーの魅力に惹きつけられたのか。あの快適さ加減は俺にはあまりに贅沢が過ぎる。俺は居心地がええんか、悪いんか分からん様な気分になったりする。しかし、近い内きっとまたこの俺は、あまりにも蒸す夜、生意気にも部屋の温度を快適にし、クーラーの魅力に惹きつけられ、真夏の夜のジャズを観賞、そんな風になる気がしてならん。さぁ、夏が来るぞ(良い意味)。
P.S 俺は喘息持ちで、クーラーの風に正面から当たるのはほんまに好きではない。あまりにも蒸す夜、それをちょっと快適にしてもらう為だけにクーラーは利用したい。嗚呼、贅沢でごめんなさい(自分へ)。
P.S 俺は喘息持ちで、クーラーの風に正面から当たるのはほんまに好きではない。あまりにも蒸す夜、それをちょっと快適にしてもらう為だけにクーラーは利用したい。嗚呼、贅沢でごめんなさい(自分へ)。
June 29, 2007
June 28, 2007
レコード・レコードー壁はないー
休みの日、朝10時半に起きるという俺にとっての快挙を達成し、風呂掃除などを一丁前にこなした後、真昼間から観賞する。何を?ジム・ジャームッシュ「ミステリー・トレイン」を。呑む。何を?ラム・グレープフルーツを。メンフィスに飛びたくなったのは当然の話で、旅に出たい思いがかけめくる。夕方、散歩がてら、千鳥足で下北沢(一杯しか呑んでないけども)。気分が良くなり、佐野元春「Coyote」手に入れ、ついでに、遂に「マイルス・デイビス自叙伝」上巻に手を出す。当然の事として聴きながら読書に耽る。佐野元春を再び聴くきっかけとなった「君が気高い孤独なら」は秀逸の仕上がりで、俺の心にグイグイくる。ロックでもジャズでもディスコでも、グイグイくるモンに壁はない。そう、フジファブリックの新曲然り。
June 27, 2007
June 26, 2007
酔いどれピエロ
昨夜、ピエロが酔っ払っておいらの部屋にやって来て、おいらも「HONEY PEPPER」で酔っ払いながら、気付けば5時間位セッションした。出会った頃にはなかったタトゥーが左腕を埋め尽くし、出会った頃は20歳だったこの男は、8月で22歳になるという。こう見えてこの男はベースに対しなかなか熱心な輩で、俺の書く曲をえらく気に入っとる感も窺える。しかししかし、おいらがこの男を甘やかす事はない。フレーズにケチをつけ、罵り合ったりもしたりする。しかししかししかし、結局は楽しいので、また一緒に演ろうぜと肩を叩くに到る。去年、「酔いどれピエロ」で練習しとる時もよくそうした様に、3コードを延々弾き続け、適当なテーマを拾って歌詞をアドリブで生み出し、交互に唄っていく、という音楽家ならではの醍醐味を昨夜久し振りに繰り広げ、結果「HONEY PEPER」という名曲が誕生した(欠点は二度と唄えん、という事)。おいらはコイツがウッドベースをさっさとマスターしてくれれば話は早い、そう望んで止まん、止まんぞ。
June 25, 2007
June 24, 2007
【東京トンネル Vol.1】
’07.7.23(月)
CRAZY HAIR RECORDS PRESENTS
【東京トンネル Vol.1】 アット 新宿CLUB DOCTOR
安部祐二君から急なお電話一本。八組出る弾き語り企画をやる、真ん中辺りで一発演ってほしい。俺、二つ返事、演ります、嬉しい。俺はこの企画がある事はホームページを見て前から知っとって、「俺に声は掛かったりせんのか?」と内心思っとったのだ(ほんまに)。それがそれが急なお電話で二つ返事。直接連絡は取ってないにも関わらず、願いは通じる事もある。期待は決して裏切りません。
P.S NHK「マイルス・デイビス・スペシャル」を見たか?昨日まさにオグリ昌也と同じ内容の話をしたばかりで、このタイミング。タイミングの良い出来事は時に一日二度起こる事も有り得る、そんな塩梅。
CRAZY HAIR RECORDS PRESENTS
【東京トンネル Vol.1】 アット 新宿CLUB DOCTOR
安部祐二君から急なお電話一本。八組出る弾き語り企画をやる、真ん中辺りで一発演ってほしい。俺、二つ返事、演ります、嬉しい。俺はこの企画がある事はホームページを見て前から知っとって、「俺に声は掛かったりせんのか?」と内心思っとったのだ(ほんまに)。それがそれが急なお電話で二つ返事。直接連絡は取ってないにも関わらず、願いは通じる事もある。期待は決して裏切りません。
P.S NHK「マイルス・デイビス・スペシャル」を見たか?昨日まさにオグリ昌也と同じ内容の話をしたばかりで、このタイミング。タイミングの良い出来事は時に一日二度起こる事も有り得る、そんな塩梅。
急に色んな事を思い出した
2000年12月13日~14日、俺は寝台特急に荷物を山の様に積み込み東京へと出て来た。4畳半の部屋に転がり込み、俺はトランクスを一ヶ月間穿きかえる事なく過ごす生活をした。代えのパンツはあるにはあったが、そうした。そうしたかった。そうする事に魅力を感じた。ある日、スーツを着て警備の仕事に行った時、見ず知らずの人が俺の肩をはたいた。スーツに付いたフケをはたいた。はたいてくれた。あの人の気持ちがどんなだったか俺には分からんが、申し訳なさと嬉しさが同居した。東京に来て初めての夏、俺は扇風機もなく過ごした。扇風機を買うお金位は多分あった。扇風機を使わん夏に魅力を感じた。心配なのは体ではなく、ギターのネックが反らんかどうかだった。こんな事を書いて誰が得するとも思わんが、俺はその頃の事をとても宝に思っとる。現在、生活は以前に比べれば格段良くなった。シャワーがあり、扇風機があり、電気コンロがある。人はどこまでも欲張りになる。しかし俺はその頃の気持ちを一生忘れる事なく持ち続けたいと強く思っとる。
June 23, 2007
レコード・レコードーベルギー盤ー
⑩SCREAMIN’JAY HAWKINS
「HONEY PEPPER」のうたい文句とジャケットの格好良さに一目惚れ、仕事帰りウォっカを手に入れ、それをオレンジジュースで割りつつ、ジャズやら何やらのレコードを回しつつ、オグリ昌也と呑み明かしとるその最中、「ブツ」は到着する。俺はオークションで手に入れるのはあまり好きじゃないとほざきつつ、ちょいちょい利用したりもする。はい、これもその一品で、このジャケットを素通りする事が許せんかった男、このワタシ。三曲で二千円。いや、ジャケットに千円出すと計算しても良い。これがCDで二千円なら俺は手に入れてないだろう。不思議な力を持つレコード盤、こいつはベルギー盤。俺はこんなのレコード屋でお目にかかった事がない。内容はスクリーミン、その名の通り叫ぶ男、ジェイ・ホーキンス。俺はこの一曲しか知らんが、「下品で何が悪い?」と訴えかけてくる。俺も叫ぼう、「何も悪くないです」。
June 22, 2007
June 20, 2007
June 18, 2007
詩・「ドクター」
「ドクター」
感情抑えきれずにやさぐれていました
ふて腐れた顔して いらいらいらららら
もう一つの人格が本当の俺を狂わせる
だけども本当の俺がどっちかなんて知らんけれど
Doctor says I’ll be alright
Doctor says I’ll be alright
Doctor says I’ll be alright
But I’m feeling blue
絶望と手繋いで笑い転げてみました
死んだ様な顔して へらへらへらららら
もう一つの人格か 逃げる様な事言うなよ
どっちの俺も本当なのかも知れないぜ
医者が言う 大丈夫さ
医者が言う 問題無い
どこにも悪いところなんか無いんだってさ
だけど心は暗い
医者が言う 大丈夫さ
医者が言う 心配無い
どこにも悪いところなんか無いんだってさ
だけど俺の心は暗い 暗い 暗い
感情抑えきれずにやさぐれていました
足下おぼつかない ふらふらふらららら
自分だけで精一杯 生きるだけで精一杯
他に手が回らない 知ったこっちゃないんだけど
医者が言う 大丈夫さ
医者が言う 問題無い
どこにも悪いところなんか無いんだってさ
だけど心は暗い
俺が言う 大丈夫さ
俺が言う 心配無い
どこにも悪いところなんか無いってさ
だけどまだ心は暗い 暗い 暗い
感情抑えきれずにやさぐれていました
ふて腐れた顔して いらいらいらららら
もう一つの人格が本当の俺を狂わせる
だけども本当の俺がどっちかなんて知らんけれど
Doctor says I’ll be alright
Doctor says I’ll be alright
Doctor says I’ll be alright
But I’m feeling blue
絶望と手繋いで笑い転げてみました
死んだ様な顔して へらへらへらららら
もう一つの人格か 逃げる様な事言うなよ
どっちの俺も本当なのかも知れないぜ
医者が言う 大丈夫さ
医者が言う 問題無い
どこにも悪いところなんか無いんだってさ
だけど心は暗い
医者が言う 大丈夫さ
医者が言う 心配無い
どこにも悪いところなんか無いんだってさ
だけど俺の心は暗い 暗い 暗い
感情抑えきれずにやさぐれていました
足下おぼつかない ふらふらふらららら
自分だけで精一杯 生きるだけで精一杯
他に手が回らない 知ったこっちゃないんだけど
医者が言う 大丈夫さ
医者が言う 問題無い
どこにも悪いところなんか無いんだってさ
だけど心は暗い
俺が言う 大丈夫さ
俺が言う 心配無い
どこにも悪いところなんか無いってさ
だけどまだ心は暗い 暗い 暗い
June 17, 2007
レコード・レコードー好きにやらせてくれー
⑤ALEXIS KORNER(CD)
⑥G.LOVE&SPECIAL SAUCE
⑦MIKE BLOOMFIELD-AL KOOPER-STEVE STILLS
⑧FACES
⑨RONNIE LANE’S SLIM CHANCE
仕事を終え、「ポケットの中嫌な思いをしてやっとこさ稼いだお金」じゃらじゃら鳴らして向かう先、渋谷二大レコード屋。気付けば久し振りの熱を込めたレコード漁り。俺は基本的にレコード以外にお金は使わん、と言い切る事も出来る(後、本と)。その前に、この世にレコード屋がなければ俺は一体どうなっとるのか、と捉える事も出来たりする。お母さんは言う、「レコードのお金を食べる物に使いなさい」。答え、ノー(悪気はない)。レコードを買わずにそれを俺の食べる物に回すなら、俺はその前にお母さんに豪勢なディナーに招待したい心意気だが、そんなん要らん、と彼女は言うだろう。しかしバーミヤンなら喜ぶかも知らん、そんなお母さんがたまらなく格好良い。そして、DVDプレーヤーの一つでもプレゼントするのも良い(要らんのか?)、それで「ロックン・ロール・サーカス」でも観賞すれば良い(興味ないのか?)。しかし、レコード屋はある。あちこちにある。したがって俺は立ち寄る。まず、ディスクユニオンにて⑤「アレクシス・コーナー」を手に入れる。そして物色中、驚愕の⑨「ロニー・レイン」レコード盤を発見。なぜ驚愕かを説明するには時間がかかり過ぎる。いや、書こう。先月、映画に合わせて発売された⑨と同じ紙ジャケット盤(CD)があるのだが、俺は映画を観る前にそれを試聴して、一曲目を聴いて「久し振りに音楽を聴いて痺れる瞬間」というのを味わったにも関わらず、「今度でええか」という考えが先行し、後回しにしとった。そしていざ手に入れようとした際には、何時の間にか「生産中止」になっており、それはそれは何処を探し回っても、何処で注文しても「在庫がない」と言われた。そこで俺はあまり使いたくはない、かの有名なインターネット・オークションを駆使してまでも、探し求めた(どうしても欲しかったの)。そこで見事発見し、見事、定価を下回る(定価を超えるなら手に入れてないが)2110円で、おとつい落札したばかり、振り込むのは明日だぜ、という段階まできとった。そんな経緯があった。そんな中でのまさかのレコード盤発見。お値段、2100円。さすがにこれはどうしたモンかと、俺は後ろ髪引かれる思いで、「ロニー・レイン」を棚に戻し、ディスクユニオンを出た。向かう先、マンモスレコード店、レコファン。しかし「ロニー・レイン」が頭から離れる事はなく、結局レコファンでも探しまくるに到る。「ロニー・レイン」はさすがにレコファンでは出てくる事はなかったが、そんな最中に巡り合った三枚のレコード。こんな時に限り、普段は何時探しても出てくる事のない⑥「G.LOVE&SPECIAL SOUCE」が980円で出てきたりするのでレコード屋の魅力は永遠に損なわれる事がない。しかし後ろ髪引かれる思いは冷める事がない。そこで「おいらもう知らんぞ」とばかりに早歩きで舞い戻る先、ディスクユニオン。そしてその通り、⑨「ロニー・レイン」は誰が何と言おうともうワタシの物(ヘビーローテーションは確実)。そして来週中には、ボーナストラックを三曲追加したCD盤が手元に届くだろう。そちらはライナーノーツを読みながら楽しむ(レコード盤には付いてないので)。俺は単細胞な「コレクター」ではない(きっと)。ただ、大きなジャケットを眺めて過ごしたい、それだけ。お金?ないない。
P.S 明日はレコードプレーヤーにかじりつく、きっとそんな一日。
June 16, 2007
武蔵野タンポポ団の如く
先日、マンドリンとアコースティックギターでセッションを繰り広げた。真夜中、多分10曲位演った。そこで俺は前にも書いた、あの、
武蔵野タンポポ団
の様なジャグ・バンドが実際に出来る気がしてワクワクした。
俺は、「何々の様な」という表現が好きではないが、この心意気に関して、まさに「武蔵野タンポポ団の様な」と表現する事が出来る(曲がではなく、イメージが)。ウッドベース、バンジョー、バイオリン、ピアノ、洗濯板、大して弾けんとしてもどうぞ集まれ、楽しく演ろうぜ。
P.S 後ろに見えるのは、ようやく出す事に成功した扇風機と、たまたま写った、CCR渾身のジャグ・レコード。
先日穴を開けた仕事場の壁が見事補修された。ありがとう、ごめんなさい。
武蔵野タンポポ団
の様なジャグ・バンドが実際に出来る気がしてワクワクした。
俺は、「何々の様な」という表現が好きではないが、この心意気に関して、まさに「武蔵野タンポポ団の様な」と表現する事が出来る(曲がではなく、イメージが)。ウッドベース、バンジョー、バイオリン、ピアノ、洗濯板、大して弾けんとしてもどうぞ集まれ、楽しく演ろうぜ。
P.S 後ろに見えるのは、ようやく出す事に成功した扇風機と、たまたま写った、CCR渾身のジャグ・レコード。
先日穴を開けた仕事場の壁が見事補修された。ありがとう、ごめんなさい。
June 14, 2007
いーはとーぼで企画会議
先日、仕事を終え、部屋でお気に入りのラム・コークを呑みながらオグリ昌也と気軽なセッションを繰り広げ、その後渡辺雅弘を交えての企画会議、アット 永遠の喫茶店「いーはとーぼ」。トム・ウェイツをBGMに、三人がこうしようああいうのはどうかなどと意見を出し合いする。俺はただシンプルに、個人個人が鬼気迫る程の演奏を心掛けるのみという発想だったが(これは企画の時だけじゃなく何時もだが)、それプラスアルファを考える。まだ意見はまとまってないが、本日は勝志を交えての、第二回企画会議が開かれる。なにはともあれ、何か新しいものを作り出すこの瞬間、俺は好きだ。そしてこれこそ「新しい酒は新しい革袋に盛れ」のことわざ、そのものである。
June 12, 2007
June 10, 2007
June 09, 2007
中編・「お父さん」-五・六・七ー
五
葬式が始まった。進行役の人がマニュアル通りに事を進める。そこに感情はない様に聞こえる。いや、実際ないと思う。皿洗い、新聞配達、営業回り、それらと同じ仕事の一つだ。その人にとっては赤の他人にすぎん。おばちゃん、いや、お父さんの「奥さん」が挨拶した時、そして式の最後、棺桶のお父さんに花を入れる時、俺は泣き崩れた。ひでのおっちゃんの奥さんが泣きわめきながらお父さんにかけた最後の一言、
「お兄さん!ほら!あき君が最後に来てくれてるよ!」。
俺はその一言を一生忘れん。その言葉が頭に浮かぶ度、俺は涙が出る。
六
お父さんが住んどった団地の九階の部屋に戻って、おばちゃんから色んな話を聞いた。亡くなる直前まで元気だった事、パチンコに行った形跡がある事、最近よく、死んだ振りをしとった事。おばちゃんが死んだお父さんを最初に発見した時、
「またそんな事してー」
と、思ったらしい。ほんまに眠る様に死んだんじゃないか、という事だった。お父さんは好きなパチンコを最後にやって、それから逝った。計算しとったかの様に。亡くなる日の前日、病院へ行った帰り道、好物だったというすじ肉入りのカレーをおばちゃんに作ってもらう為、材料を買って帰った。おばちゃんは、
「じゃあ、明日の夜にでも作るね」
と答えたらしい。そしてその「明日の夜」を迎える前、夕方にお父さんは死んでしまった。「パチンコ」も「カレー」も、というのは、神様にとってはさすがに我儘な話だった。しかし。その日の昼、何も知らんこの俺が、東京で食べた昼食というのが、まさに「カレー」だった。そして、お父さんが亡くなる時間とほぼ同時期に、俺は気持ちが悪くなり、その昼に食べたカレーを残さず吐いた。こんな偶然がある筈ない。人間にはそういう察知する能力があるんだと思う。俺は確かにお父さんの変わりに、「最後のカレー」を食べたのだ。
「お父さんはあき君を連れて行こうとしたんだね」
誰かが呟いた。
七
東京に戻って来て、いつもの生活がまた始まった。お父さんが死んだ十日後、まさに衝動買いの様にパソコンを手に入れた。特別何も変わる事はない。急に体調が悪くなったりした時、
「またお父さんが呼んどるぞ」
「今度はお母さんに何かあったんじゃないか」
と思う様になってしまった事以外は。
俺はまだまだ強く生きたい。
葬式が始まった。進行役の人がマニュアル通りに事を進める。そこに感情はない様に聞こえる。いや、実際ないと思う。皿洗い、新聞配達、営業回り、それらと同じ仕事の一つだ。その人にとっては赤の他人にすぎん。おばちゃん、いや、お父さんの「奥さん」が挨拶した時、そして式の最後、棺桶のお父さんに花を入れる時、俺は泣き崩れた。ひでのおっちゃんの奥さんが泣きわめきながらお父さんにかけた最後の一言、
「お兄さん!ほら!あき君が最後に来てくれてるよ!」。
俺はその一言を一生忘れん。その言葉が頭に浮かぶ度、俺は涙が出る。
六
お父さんが住んどった団地の九階の部屋に戻って、おばちゃんから色んな話を聞いた。亡くなる直前まで元気だった事、パチンコに行った形跡がある事、最近よく、死んだ振りをしとった事。おばちゃんが死んだお父さんを最初に発見した時、
「またそんな事してー」
と、思ったらしい。ほんまに眠る様に死んだんじゃないか、という事だった。お父さんは好きなパチンコを最後にやって、それから逝った。計算しとったかの様に。亡くなる日の前日、病院へ行った帰り道、好物だったというすじ肉入りのカレーをおばちゃんに作ってもらう為、材料を買って帰った。おばちゃんは、
「じゃあ、明日の夜にでも作るね」
と答えたらしい。そしてその「明日の夜」を迎える前、夕方にお父さんは死んでしまった。「パチンコ」も「カレー」も、というのは、神様にとってはさすがに我儘な話だった。しかし。その日の昼、何も知らんこの俺が、東京で食べた昼食というのが、まさに「カレー」だった。そして、お父さんが亡くなる時間とほぼ同時期に、俺は気持ちが悪くなり、その昼に食べたカレーを残さず吐いた。こんな偶然がある筈ない。人間にはそういう察知する能力があるんだと思う。俺は確かにお父さんの変わりに、「最後のカレー」を食べたのだ。
「お父さんはあき君を連れて行こうとしたんだね」
誰かが呟いた。
七
東京に戻って来て、いつもの生活がまた始まった。お父さんが死んだ十日後、まさに衝動買いの様にパソコンを手に入れた。特別何も変わる事はない。急に体調が悪くなったりした時、
「またお父さんが呼んどるぞ」
「今度はお母さんに何かあったんじゃないか」
と思う様になってしまった事以外は。
俺はまだまだ強く生きたい。
中編・「お父さん」-参・四ー
参
お父さんと話したのは、年末にかかってきた電話が最後だった。小学校の時に別れたお父さん。再会したのは俺が東京に出て来てから半年位経った頃だった。十年位会ってなかった。岐阜におる事、再婚した事、養子になり苗字が中村に変わった事、血は繋がってないが子どもがおる事、そんな話は会う前から何となく聞いた事があった。でもそんな話を聞いた時も俺は、「おいおい、このおっさんは何を言うとる」と理解に苦しんだ。そもそも俺にはお母さんと離婚しとるという事さえ、正確には掴めてなかった。ゴールデンウィーク、会いに行った。駅で敏とお父さんが並んで待ってくれとった。再会した時の感覚、あれを言葉で表せる程、俺には文才がない。お父さんは俺の事を「新たな家族」に紹介した。「はいはい、男前がやって来ましたよ」。その時に全てを悟った。「そういう事なんか」。許すも許さんもなかった。「新たな家族」、おばちゃん、さとみちゃん、しほちゃんとは自然と何となくすぐに打ち解ける事が出来た。その再会は楽しかった。でもやっぱり引っ掛かる事があった。お母さん。岐阜ではお父さんが「新たな家族」を作りワイワイ暮らしとる。でもお母さんは広島で一人。その事実が嫌で嫌でしょうがなかった。この中にお母さんが入るスペースはないんか。「お母さんは今頃仕事を終えて、御飯でも作って食べとる頃かな」と、そんな事ばっかり浮かんだ。印象的な出来事がある。車の中でお父さんと二人になった時、聞いた。
「お母さんとは離婚したん?」
「そんなモンとっくにしとるで」
そりゃそうよな。納得せざるを得ん。お父さんには多額の借金があった。詳しくは知らんが、それが離婚の大きな原因じゃないかと思う。そして借金の話になった、
「お父さんはもう借金返さんでええ事になってん」
「何で?」
「何でて事ぁないよ。そりゃ色々あるわな」。
それ以上は聞かんかった。「色々あるんじゃろうなぁ」と思っただけだ。夜行バスで東京に戻る時、見送ってくれる「新たな家族」を窓の外で見ながら、俺は色んな事を感じて、泣いた。そしてその一年後の夏、今度は彼女を連れて再び岐阜を訪れた。お父さんは彼女を可愛がった。新しい車を手に入れたという。さとみちゃんが言った。
「この車、あき君達が来るから買った様なもんなんだよ!」。
嬉しかったけど寂しかった。そのお金を、お母さんに回してやってくれんか。お母さんに悪い事をしとる気がしながらも、その時も結局楽しかった。俺のお父さんはこの人だけだ。彼女も楽しんどる様子だった。そしてそれがお父さんと会った最後になった。それから二年以上経った年末の電話。体の調子が快調ではない事はその間にも何となく聞いとった。
「煙草をあと一本でも吸うたら命の保障ない言われとるんや」
「で、吸ってないんじゃろ?」
「そやけど仕事もせんとずっと家におったらやっぱり吸うてまうわなぁ」
笑い話だった。俺も「それはいかんで」と言いながらも、特に問題はなさそうじゃなと思って笑った。
「今、ウサギを飼うとるんや。また年明けて落ち着いてからでも彼女と一緒に遊びに来たらええわ」
「うん、二月くらいに、行けたらええと思っとるんじゃわ」。
それが最後だった。
四
岐阜に着き、電車を乗り継ぎ指定された場所へ行く。さとみちゃん、しほちゃん、そしてひでのおっちゃんが迎えてくれた。
「よー具合悪いのに来てくれたなぁ、兄貴も喜んどるわ」。
早速しほちゃんの車に乗せられ、葬式会場に向かった。葬式が始まるまでにはまだ時間があるが、「先に顔だけでも見てもらおうと思って」という事だった。その時は一旦泣き止んどった。「俺は何しに来たんや」という気持ちにまた戻っとった。車が式場に着いて中に入る。遺影、花、準備の整った会場。「こっちだよ」と急かされ棺桶に入れられたお父さんを見た時。立ち尽くした。あんなのは立ち尽くすしかない。それしかない。遺影の、俺が知らん頃の写真と棺桶の中に入れられた顔を交互に見ながら、今度は顔も隠さず泣けるだけ泣いた。
「勝手な事ばっかりしやがって」
「馬鹿みたいな顔しやがって」
そう思いながら泣いた。今すぐにでも起き上がって「よぉ!」とでも言いそうな、そんな顔だった。言って欲しかった。控え室みたいな所に行くと、滅多に会う事のない、親戚の人達がいっぱいおった。「会う事がない」と言うより、俺にはほとんど記憶にない人達ばかりだった。
「私の事覚えてる?覚えてるわけないよねぇ。だってこんな小さかったもんねぇ。こんな機会でしか顔合わせへんなんて寂しいよねぇ」。俺は東京で音楽をやっとる事、兄ちゃんの嫁はろくでもない奴で、俺は敏と血が繋がっとると思えん、といった類の事を話した。
お父さんと話したのは、年末にかかってきた電話が最後だった。小学校の時に別れたお父さん。再会したのは俺が東京に出て来てから半年位経った頃だった。十年位会ってなかった。岐阜におる事、再婚した事、養子になり苗字が中村に変わった事、血は繋がってないが子どもがおる事、そんな話は会う前から何となく聞いた事があった。でもそんな話を聞いた時も俺は、「おいおい、このおっさんは何を言うとる」と理解に苦しんだ。そもそも俺にはお母さんと離婚しとるという事さえ、正確には掴めてなかった。ゴールデンウィーク、会いに行った。駅で敏とお父さんが並んで待ってくれとった。再会した時の感覚、あれを言葉で表せる程、俺には文才がない。お父さんは俺の事を「新たな家族」に紹介した。「はいはい、男前がやって来ましたよ」。その時に全てを悟った。「そういう事なんか」。許すも許さんもなかった。「新たな家族」、おばちゃん、さとみちゃん、しほちゃんとは自然と何となくすぐに打ち解ける事が出来た。その再会は楽しかった。でもやっぱり引っ掛かる事があった。お母さん。岐阜ではお父さんが「新たな家族」を作りワイワイ暮らしとる。でもお母さんは広島で一人。その事実が嫌で嫌でしょうがなかった。この中にお母さんが入るスペースはないんか。「お母さんは今頃仕事を終えて、御飯でも作って食べとる頃かな」と、そんな事ばっかり浮かんだ。印象的な出来事がある。車の中でお父さんと二人になった時、聞いた。
「お母さんとは離婚したん?」
「そんなモンとっくにしとるで」
そりゃそうよな。納得せざるを得ん。お父さんには多額の借金があった。詳しくは知らんが、それが離婚の大きな原因じゃないかと思う。そして借金の話になった、
「お父さんはもう借金返さんでええ事になってん」
「何で?」
「何でて事ぁないよ。そりゃ色々あるわな」。
それ以上は聞かんかった。「色々あるんじゃろうなぁ」と思っただけだ。夜行バスで東京に戻る時、見送ってくれる「新たな家族」を窓の外で見ながら、俺は色んな事を感じて、泣いた。そしてその一年後の夏、今度は彼女を連れて再び岐阜を訪れた。お父さんは彼女を可愛がった。新しい車を手に入れたという。さとみちゃんが言った。
「この車、あき君達が来るから買った様なもんなんだよ!」。
嬉しかったけど寂しかった。そのお金を、お母さんに回してやってくれんか。お母さんに悪い事をしとる気がしながらも、その時も結局楽しかった。俺のお父さんはこの人だけだ。彼女も楽しんどる様子だった。そしてそれがお父さんと会った最後になった。それから二年以上経った年末の電話。体の調子が快調ではない事はその間にも何となく聞いとった。
「煙草をあと一本でも吸うたら命の保障ない言われとるんや」
「で、吸ってないんじゃろ?」
「そやけど仕事もせんとずっと家におったらやっぱり吸うてまうわなぁ」
笑い話だった。俺も「それはいかんで」と言いながらも、特に問題はなさそうじゃなと思って笑った。
「今、ウサギを飼うとるんや。また年明けて落ち着いてからでも彼女と一緒に遊びに来たらええわ」
「うん、二月くらいに、行けたらええと思っとるんじゃわ」。
それが最後だった。
四
岐阜に着き、電車を乗り継ぎ指定された場所へ行く。さとみちゃん、しほちゃん、そしてひでのおっちゃんが迎えてくれた。
「よー具合悪いのに来てくれたなぁ、兄貴も喜んどるわ」。
早速しほちゃんの車に乗せられ、葬式会場に向かった。葬式が始まるまでにはまだ時間があるが、「先に顔だけでも見てもらおうと思って」という事だった。その時は一旦泣き止んどった。「俺は何しに来たんや」という気持ちにまた戻っとった。車が式場に着いて中に入る。遺影、花、準備の整った会場。「こっちだよ」と急かされ棺桶に入れられたお父さんを見た時。立ち尽くした。あんなのは立ち尽くすしかない。それしかない。遺影の、俺が知らん頃の写真と棺桶の中に入れられた顔を交互に見ながら、今度は顔も隠さず泣けるだけ泣いた。
「勝手な事ばっかりしやがって」
「馬鹿みたいな顔しやがって」
そう思いながら泣いた。今すぐにでも起き上がって「よぉ!」とでも言いそうな、そんな顔だった。言って欲しかった。控え室みたいな所に行くと、滅多に会う事のない、親戚の人達がいっぱいおった。「会う事がない」と言うより、俺にはほとんど記憶にない人達ばかりだった。
「私の事覚えてる?覚えてるわけないよねぇ。だってこんな小さかったもんねぇ。こんな機会でしか顔合わせへんなんて寂しいよねぇ」。俺は東京で音楽をやっとる事、兄ちゃんの嫁はろくでもない奴で、俺は敏と血が繋がっとると思えん、といった類の事を話した。
中編・「お父さん」ー壱・弐ー
壱
二〇〇五年、一月の中旬、いつも通り仕事を終え、夕方自転車で部屋に戻ろうとした時だった。急にめまいがして、気分が悪くなり、吐き気がした。午前中、仕事中は何一つ問題がなかったのに、だ。唐突と言う以外例え様なんかない。何とか片道三十分の道のり、自転車をこぎ部屋に辿り着いた。俺はあまり体が丈夫であるとは言えない。しかし、滅多に吐いたりする性質ではなかった。それが全部吐いた。昼間仕事場の食堂で食べた物、コーヒー、水、何も出ん様になってもまだ吐いた。「何で急にこんな展開になるんだ」と理解に苦しみ、しかし明日も仕事だ、その日は静かに黙って眠る事にした。音楽もかけずに、だ。夜二十一時頃か、電話が鳴った。画面には知らん番号。俺はそれどころではないと無視を続けた。その後も何回か鳴った様だが、その日俺が電話に出る事はなかった。翌朝、まだ気分は悪く、仕事を休む事にした。とても三十分かけて仕事場に行き、仕事をこなし、また帰ってくる、そんな気分ではなかった。ゆっくり眠る事にした。ふと目を覚ますとまた知らん番号からの着信履歴が残されてあった。無視を決め込みまた眠る。そして次起きた時、今度はメールだ。送り主には「敏晃」とある。すなわち、俺の兄ちゃん。断っておくがこいつとは一年一回連絡を取ればまだ良い方、そんな仲だ。ぼんやりしたままの頭でその文章に何気なく目を向ける。「高 正登死去」。つまり俺のたった一人のお父さん。たった一行。いつだってこいつはわざとこんな怖い言い回しをしやがる。しかし。冗談にしては程がある。俺はぼんやりした頭で夢なんか現実なんかが全く分からずまた眠る。そして目が覚める度、「夢か、夢だったんか」となる。そしてメールの文章を確かめる。「やっぱり夢じゃない」。身近な人が死んだ時っていうのはきっとこういうもんだ。何回も何回もそんな行動を繰り返す。状況を未だ掴めんまま、やっと夕方電話をかけてみる。何回もかかってきとった、あの知らん番号に。その電話に出た声は、お父さんの再婚相手、相手の人も再婚で、前の旦那さんとの間に出来た子どもを引き取っており、俺と年が近い二人の女の子、新たな家族揃って岐阜に住む、その一人のさとみちゃんだった。
「俺、昨日の夕方から具合が悪くなって電話に出れんかった。敏から聞いたけどほんま?」
「そうなの。で、今日お通やで明日が葬式なの。あき君にも来て欲しくて」
「俺まだ具合が良くないんよ」。
その時点では正直俺、葬式に行く気なんかなかった。そしてそんな会話をしながらも、「一体これは何の話なんだ?」と意味が分からんかった。一回電話を切る。これはほんまの出来事なんかと考える。涙が出る気配もない。ただソワソワしとった。小一時間位経ってまた電話をかけた。
「やっぱり俺行くわ」
「でも具合悪いのに無理して来ても良くないよ」
俺はいつの間にか、絶対行くという気持ちに変わっとった。電話の声はお父さんの弟、お父さんが唯一可愛がっとったというひでのおっちゃんに代わる。
「あき、無理せんでええ、その気持ちだけで充分や。体調が良くなってから線香の一本でもあげてやったらええ」
「いや、大丈夫や。明日朝一番の新幹線で行くわ」。
そして準備を始める。「一体俺は何の準備をしとるんや?何をしに朝一番で岐阜に向かうんじゃろう」と呟きながら。何が何かまだ分かってない。体調は確かに良くはない。でもとにかく岐阜に行く事は決めた。休みを取る為仕事場に電話をかけ店長を呼び出す、
「今日は体の具合が悪くて休んだんですが、実はさっき連絡があってお父さんが死んだんです。今日は通やなんですが、明日の葬式には出たいんでもう少し休みを下さい」。休む為の良くある嘘のパターン。でも俺はこんな嘘だけは絶対につかん。嘘と捉えられたら困ると思った。店長は言った、
「あらら、お気の毒に。体は大丈夫か?分かったよ、気をつけて」。
ほんまに心配してくれとる様な、そんな声だった。でもやっぱりそんな話をしてもまだ、お父さんが死んだという事、これは信じてなかった。
弐
翌朝、普段は滅多に乗る事がない新幹線に乗り込んだ。微熱が続いとった。手には喪服が詰まったバッグなどを抱えとる。「こんなモン持って俺は何処行くんや」、あるのはそんな気持ちだけ。お父さんの事を何気なく考えながら窓の外を見とった。持ってきたウォークマンでも聴くか。何曲か過ぎた後、加川良の「その朝」が流れ始めた。
寒いある朝 窓辺に立っていたら
かあちゃん連れて行く 天国の車がやって来た
やがて俺達 一人ぼっちになるのかな
でもよー 俺が死んだら また母ちゃんに会えるよネ
車屋さん 車引きさん 静かに頼みます
あんたが連れてゆく それは寝てる母ちゃんだからネ
やがて俺達 一人ぼっちになるのかな
でもよー 俺が死んだら また母ちゃんに会えるよネ
涙こらえどこまでも 車の後を追いかける
でも母ちゃんが墓に入る時 目の前がかすんだヨ
やがて俺達 一人ぼっちになるのかな
でもよー 俺が死んだら また母ちゃんに会えるよネ
もちろんお母さんは元気だ。そうじゃないと困る。広島でたった一人で暮らしとる。いつかええ思いをさせてやりたいと思っとる。俺はその唄の「母ちゃん」の部分を「お父さん」に変えて、また「母ちゃん」がもしもそうなった時の事を考えて、泣いた。新幹線の中で、その話を聞いてから初めて涙が出た。ハンカチも何も持ってない。でも関係ない、顔を出来るだけ隠して、ただただ泣いた。
二〇〇五年、一月の中旬、いつも通り仕事を終え、夕方自転車で部屋に戻ろうとした時だった。急にめまいがして、気分が悪くなり、吐き気がした。午前中、仕事中は何一つ問題がなかったのに、だ。唐突と言う以外例え様なんかない。何とか片道三十分の道のり、自転車をこぎ部屋に辿り着いた。俺はあまり体が丈夫であるとは言えない。しかし、滅多に吐いたりする性質ではなかった。それが全部吐いた。昼間仕事場の食堂で食べた物、コーヒー、水、何も出ん様になってもまだ吐いた。「何で急にこんな展開になるんだ」と理解に苦しみ、しかし明日も仕事だ、その日は静かに黙って眠る事にした。音楽もかけずに、だ。夜二十一時頃か、電話が鳴った。画面には知らん番号。俺はそれどころではないと無視を続けた。その後も何回か鳴った様だが、その日俺が電話に出る事はなかった。翌朝、まだ気分は悪く、仕事を休む事にした。とても三十分かけて仕事場に行き、仕事をこなし、また帰ってくる、そんな気分ではなかった。ゆっくり眠る事にした。ふと目を覚ますとまた知らん番号からの着信履歴が残されてあった。無視を決め込みまた眠る。そして次起きた時、今度はメールだ。送り主には「敏晃」とある。すなわち、俺の兄ちゃん。断っておくがこいつとは一年一回連絡を取ればまだ良い方、そんな仲だ。ぼんやりしたままの頭でその文章に何気なく目を向ける。「高 正登死去」。つまり俺のたった一人のお父さん。たった一行。いつだってこいつはわざとこんな怖い言い回しをしやがる。しかし。冗談にしては程がある。俺はぼんやりした頭で夢なんか現実なんかが全く分からずまた眠る。そして目が覚める度、「夢か、夢だったんか」となる。そしてメールの文章を確かめる。「やっぱり夢じゃない」。身近な人が死んだ時っていうのはきっとこういうもんだ。何回も何回もそんな行動を繰り返す。状況を未だ掴めんまま、やっと夕方電話をかけてみる。何回もかかってきとった、あの知らん番号に。その電話に出た声は、お父さんの再婚相手、相手の人も再婚で、前の旦那さんとの間に出来た子どもを引き取っており、俺と年が近い二人の女の子、新たな家族揃って岐阜に住む、その一人のさとみちゃんだった。
「俺、昨日の夕方から具合が悪くなって電話に出れんかった。敏から聞いたけどほんま?」
「そうなの。で、今日お通やで明日が葬式なの。あき君にも来て欲しくて」
「俺まだ具合が良くないんよ」。
その時点では正直俺、葬式に行く気なんかなかった。そしてそんな会話をしながらも、「一体これは何の話なんだ?」と意味が分からんかった。一回電話を切る。これはほんまの出来事なんかと考える。涙が出る気配もない。ただソワソワしとった。小一時間位経ってまた電話をかけた。
「やっぱり俺行くわ」
「でも具合悪いのに無理して来ても良くないよ」
俺はいつの間にか、絶対行くという気持ちに変わっとった。電話の声はお父さんの弟、お父さんが唯一可愛がっとったというひでのおっちゃんに代わる。
「あき、無理せんでええ、その気持ちだけで充分や。体調が良くなってから線香の一本でもあげてやったらええ」
「いや、大丈夫や。明日朝一番の新幹線で行くわ」。
そして準備を始める。「一体俺は何の準備をしとるんや?何をしに朝一番で岐阜に向かうんじゃろう」と呟きながら。何が何かまだ分かってない。体調は確かに良くはない。でもとにかく岐阜に行く事は決めた。休みを取る為仕事場に電話をかけ店長を呼び出す、
「今日は体の具合が悪くて休んだんですが、実はさっき連絡があってお父さんが死んだんです。今日は通やなんですが、明日の葬式には出たいんでもう少し休みを下さい」。休む為の良くある嘘のパターン。でも俺はこんな嘘だけは絶対につかん。嘘と捉えられたら困ると思った。店長は言った、
「あらら、お気の毒に。体は大丈夫か?分かったよ、気をつけて」。
ほんまに心配してくれとる様な、そんな声だった。でもやっぱりそんな話をしてもまだ、お父さんが死んだという事、これは信じてなかった。
弐
翌朝、普段は滅多に乗る事がない新幹線に乗り込んだ。微熱が続いとった。手には喪服が詰まったバッグなどを抱えとる。「こんなモン持って俺は何処行くんや」、あるのはそんな気持ちだけ。お父さんの事を何気なく考えながら窓の外を見とった。持ってきたウォークマンでも聴くか。何曲か過ぎた後、加川良の「その朝」が流れ始めた。
寒いある朝 窓辺に立っていたら
かあちゃん連れて行く 天国の車がやって来た
やがて俺達 一人ぼっちになるのかな
でもよー 俺が死んだら また母ちゃんに会えるよネ
車屋さん 車引きさん 静かに頼みます
あんたが連れてゆく それは寝てる母ちゃんだからネ
やがて俺達 一人ぼっちになるのかな
でもよー 俺が死んだら また母ちゃんに会えるよネ
涙こらえどこまでも 車の後を追いかける
でも母ちゃんが墓に入る時 目の前がかすんだヨ
やがて俺達 一人ぼっちになるのかな
でもよー 俺が死んだら また母ちゃんに会えるよネ
もちろんお母さんは元気だ。そうじゃないと困る。広島でたった一人で暮らしとる。いつかええ思いをさせてやりたいと思っとる。俺はその唄の「母ちゃん」の部分を「お父さん」に変えて、また「母ちゃん」がもしもそうなった時の事を考えて、泣いた。新幹線の中で、その話を聞いてから初めて涙が出た。ハンカチも何も持ってない。でも関係ない、顔を出来るだけ隠して、ただただ泣いた。
June 08, 2007
カリプソを踊れ
仕事のやり方にいくら不満を洩らして文句を言っても、俺には「朝が弱い」という最大の欠点がある。この点、言い返す事など出来ず「すいません、ごめんなさい」などと告げる事になる。このバランス感覚、何とも言えん。しかし、歴史は夜作られるとは上手い事言ったモンで、夜はなかなか手強いこのワタシ。とにかく今日は休んだ。玄関ドアにはさまれた、大家からの「至急振り込んで下さい」と赤字で書かれた紙切れ。素直にそうしようと思う。2時間以上散歩に出掛けた。そう、サンダル履いて。ポケットにカメラ、本、入れて。レコードを漁り、本屋を覘く。「マイルス・デイビス自叙伝」をええ加減読みたいが、見つからん。カリプソ踊りたい程陽気な天気で、すっかり休日。俺は間違っとるのか。近所の広場で村上龍を読んだ帰り道、タトゥー満載男が俺の真横にバイクをつける(心配するな、友達だ)。そう、この男も本日、「仕事を休んだ派」だったのだ。ベンチに座り込み、話をした後、すぐ近くの俺の部屋までバイクで二人乗りをする。俺のヘルメットはいつもの帽子。そう、開放的な夏はすぐ其処まで来とるのだ。
P.S BGMは吉田拓郎。そして明日はロックの日。
P.S BGMは吉田拓郎。そして明日はロックの日。
June 07, 2007
止まるなよ
「大日本人」を見た。緊張した。面白かった。面白かったが、深読みして意図を見つけ出そうとすると、よー分からんかった。もう一回見た方が良い。内容をこんな所で書く意味などないが、コマーシャルとは全然違う。
渋谷AXにて曽我部恵一バンドを見た。あんなモンある意味ハードロックや(かっこ良い、という意味)。サニーディ・サービスの曲を巧みに織り込み丸3時間。あの人は音楽と子どもと下北沢とコーヒーを愛しとる。そうに違いない。
けんじとの久々のセッションをすっぽかした。悪い事をしたが、俺はたまった本が読みたいのです。近々、演る。
仕事の話、はもうええが、俺はいつまでも黙ってない。言うだけは言ってやった。根本から変えてやりたい。センスなさ過ぎるぜ、全く。
渋谷AXにて曽我部恵一バンドを見た。あんなモンある意味ハードロックや(かっこ良い、という意味)。サニーディ・サービスの曲を巧みに織り込み丸3時間。あの人は音楽と子どもと下北沢とコーヒーを愛しとる。そうに違いない。
けんじとの久々のセッションをすっぽかした。悪い事をしたが、俺はたまった本が読みたいのです。近々、演る。
仕事の話、はもうええが、俺はいつまでも黙ってない。言うだけは言ってやった。根本から変えてやりたい。センスなさ過ぎるぜ、全く。
神経研ぎ澄まされる下北沢2days
’07.6.4(月) ライヴ アット 下北沢mona records
1.何を想う
2.雨が降ったって大丈夫
3.自由
4.明大前にて
5.ドクター(トム・ウェイツ)
6.深夜高速バスブルース
7.スポットライトな生き方
客がいっぱいおった。俺の為に何人か来てくれた。一年振りにも関わらず、PAの人が俺の事を憶えとってくれた。声は裏返ってもそんな事は特別どうでも良かった。終演後、俺目当ての当日券が一枚出とったという事を聞いた。「お年を召された女の方でした」と言われた。俺はそんなに遠い存在じゃない。どうぞ気軽に声を掛けてくれ。そして「良かった」のなら、どうぞ褒めてくれ。どこで俺を知ったんか、気になってしゃーない。
’07.6.5(火) ライヴ アット 下北沢daisy bar
1.明大前にて
2.ヘアースタイルブギ
3.自由
4.ドクター(トム・ウェイツ)
5.喜怒哀楽な男
6.深夜高速バスブルース
7.スポットライトな生き方
抜群、とまでは行かんが、中々やったった感有りのライヴ。右手は追いつかん個所はあるものの勢いは決して止めん。MCもシンプル、声の抜けも気持ちが良い。評判も上々、「そりゃそうや」感も有る。「もっと褒めてくれ」感も有る。当日券は出んかったが、二日間とも来てくれた人、これはほんまに凄い事だと思う。ありがとう。俺は褒められりしたらね、伸びるタイプなモンでね、まだまだ演れるのだよ。でも良くなかったら良くなかったって言ってくれよ。その点、特別気にせんモンでね、無論そんな時は俺が一番分かっとるモンでね、もしそんな時があったら、「ごめんなさい」と素直に言うよ、俺は。
P.S 北九州に行ったりなんかしての2daysは、「旅」っちゅう感じがして楽しく演れたりもするけど(何処でも楽しいけど)、こっちでの2daysは何か違う感もあった。神経研ぎ澄まされっぱなしで(これも何処でもですが)、一日終わっても、「まだ明日もあるんか」って思ったりもした。しかし、またええ勉強をしたぞ。何箇所も回るツアーっていうのはほんまに大変だと思う。でも止められる訳もないのです。だからワタシはまた、旅に出るのです。何処でライヴを演っても、終演後は「サイゼリヤ」を探すのです。俺は「人生の幸せ者」になりたいだけ、それだけ。
1.何を想う
2.雨が降ったって大丈夫
3.自由
4.明大前にて
5.ドクター(トム・ウェイツ)
6.深夜高速バスブルース
7.スポットライトな生き方
客がいっぱいおった。俺の為に何人か来てくれた。一年振りにも関わらず、PAの人が俺の事を憶えとってくれた。声は裏返ってもそんな事は特別どうでも良かった。終演後、俺目当ての当日券が一枚出とったという事を聞いた。「お年を召された女の方でした」と言われた。俺はそんなに遠い存在じゃない。どうぞ気軽に声を掛けてくれ。そして「良かった」のなら、どうぞ褒めてくれ。どこで俺を知ったんか、気になってしゃーない。
’07.6.5(火) ライヴ アット 下北沢daisy bar
1.明大前にて
2.ヘアースタイルブギ
3.自由
4.ドクター(トム・ウェイツ)
5.喜怒哀楽な男
6.深夜高速バスブルース
7.スポットライトな生き方
抜群、とまでは行かんが、中々やったった感有りのライヴ。右手は追いつかん個所はあるものの勢いは決して止めん。MCもシンプル、声の抜けも気持ちが良い。評判も上々、「そりゃそうや」感も有る。「もっと褒めてくれ」感も有る。当日券は出んかったが、二日間とも来てくれた人、これはほんまに凄い事だと思う。ありがとう。俺は褒められりしたらね、伸びるタイプなモンでね、まだまだ演れるのだよ。でも良くなかったら良くなかったって言ってくれよ。その点、特別気にせんモンでね、無論そんな時は俺が一番分かっとるモンでね、もしそんな時があったら、「ごめんなさい」と素直に言うよ、俺は。
P.S 北九州に行ったりなんかしての2daysは、「旅」っちゅう感じがして楽しく演れたりもするけど(何処でも楽しいけど)、こっちでの2daysは何か違う感もあった。神経研ぎ澄まされっぱなしで(これも何処でもですが)、一日終わっても、「まだ明日もあるんか」って思ったりもした。しかし、またええ勉強をしたぞ。何箇所も回るツアーっていうのはほんまに大変だと思う。でも止められる訳もないのです。だからワタシはまた、旅に出るのです。何処でライヴを演っても、終演後は「サイゼリヤ」を探すのです。俺は「人生の幸せ者」になりたいだけ、それだけ。
June 06, 2007
TVとコーヒーと手作りと
これはこれは久し振りにTVショーに釘付けのこのワタシ。コーヒーをおかわりしながら、3時間以上にわたり松本人志にかじりついた。その前後の時間を巧みに使いこなし、「第二回・俺の新しい酒は新しい革袋に盛れ」のチラシを作り上げた。これが意外と手間のかかる代物で、絵を描こうと思ったがその隙間すらなくなった(まぁどうにか書くかも知れんが)。しかし今回は前回の様に、大そうにもお金を使って業者に頼んでフライヤーを作る必要などない。あれはあれで勉強になったか知らんが、もう同じ事をする必要はない。手作りでも、いや、手作りこそ良いと思う。ただ、企画が素晴らしいモンになればそれで良い。さぁ、ギター弾こう。
June 01, 2007
明らかなオマージュと全くの無関心の交錯
本日、6月の始まりはほんまに休みらしい休みを満喫した。渋谷文化村にて「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」鑑賞。絵よりも何より、妻ジャンヌの切なさに俺は心動かされた。嗚呼、運命のアーティスト・ベスト・カップル。モディリアーニが病気で亡くなった日か、その次の日に「自殺」という、自分のお腹にナイフを突き刺した絵を描き、その次の日に、ナイフではなく、飛び降りで自殺を図る。そこで二人は永遠に結ばれるというビター・エンド。
そしてその後向かう先、渋谷O-EAST。ガガガSP観賞。俺はやっぱり今もこのバンドが好きだった。曲調が似たり寄ったりでも、音がそんなに良くなくても、そんなモンはどうでもええ。勢いと熱さと客の一体感は凄まじく、今年見たライヴ・ナンバーワン(比べるモンでもないけど)。喋りまくるMCでもいちいち正しい事をおっしゃられ、例の如く嫉妬する。汚い汚いパンクバンドは我が道を行く。さて、いよいよワタシも2daysが近づいてきた。見たいモンはいくらでも見るが、見るばっかりでは決してなく、次はこのワタシが見せる出番なのです。
6.4(月) 下北沢mona records
6.5(火) 下北沢daisy bar
下北沢のラブホテルに、流れ星を落としてやる。
P.S 写真は、「BRUTUS」、本気の「大松本論」。前々から好きな雑誌ではあるが、これは「本気」の雑誌です。
そして本日、真夜中に「さんまのまんま」出演。
そしてその後向かう先、渋谷O-EAST。ガガガSP観賞。俺はやっぱり今もこのバンドが好きだった。曲調が似たり寄ったりでも、音がそんなに良くなくても、そんなモンはどうでもええ。勢いと熱さと客の一体感は凄まじく、今年見たライヴ・ナンバーワン(比べるモンでもないけど)。喋りまくるMCでもいちいち正しい事をおっしゃられ、例の如く嫉妬する。汚い汚いパンクバンドは我が道を行く。さて、いよいよワタシも2daysが近づいてきた。見たいモンはいくらでも見るが、見るばっかりでは決してなく、次はこのワタシが見せる出番なのです。
6.4(月) 下北沢mona records
6.5(火) 下北沢daisy bar
下北沢のラブホテルに、流れ星を落としてやる。
P.S 写真は、「BRUTUS」、本気の「大松本論」。前々から好きな雑誌ではあるが、これは「本気」の雑誌です。
そして本日、真夜中に「さんまのまんま」出演。
素敵な休日に恋をする
素敵な休日。昼前に起き上がり、何か急に予感がして、眠たい目をこすりながら、嫌いな番組TOP3に入ると思われる「笑っていいとも」をつけてみる。そしてコマーシャル明け、テレフォンショッキング、後ろの花束に書かれた文字、「松本人志」の文字。当然目も覚める。慌てて録画ボタンを押したのは言うまでもない。ほんまに宣伝が嫌いなんだと思う。後ろに張られるポスターを北野武の映画のポスターにしたり、試写会の場所をええ加減な場所で伝えたり、「見たい奴は調べてでも見るやろ、興味ない奴はいくら言っても見んモンは見んやろ」というのがとてもはっきりしとる。そしてその考えは偉そうにも俺の中にもはっきりとある。いくらジャケットに凝っても聴かん奴は聴かんし、ジャケットも何もないCDR一枚でも聴く奴は聴くと思う。そしてそれが本物だと思う。MCで、「好きだと思うなら次も来たらええんじゃないですか、好きじゃないなら来てもしゃーないけど」とは言うが、「もし良かったら~」とかは口が裂けても俺はよー言わん。その後、目を痛め、仕事を早退し、下北沢の眼科に通う男から電話を受け、部屋へと招待する。手にはビール、昼間からビール、嗚呼、素敵な休日。そしてこれから向かう先、渋谷文化村「モディリアーニ展」。そしてその後見るライヴ、「ガガガSP」。俺は何を隠そう、このバンドが好きだ。何年も前から一回ライヴを見たいと思っとって、それが今日実現する。さぁ、素敵な休日を存分に味わおう。
P.S タイトルはワタシの歌詞の一部から。
P.S タイトルはワタシの歌詞の一部から。
ロニー・レイン
「ロニー ~MODSとROCKが恋した男~」観賞。目が悪くなった事を実感せざるを得ん字幕の見え難さ、目を細め前屈みで一時間半。スモール・フェイセス=スティーヴ・マリオットだった浅い知識のこのワタシ、スモールフェイセス=ロニー・レインに本日より切り換える(この点、単純)。この映画は実に美しい。small faces-faces-そして路線転換カントリーミュージック(かっこいいヤツ)。常日頃、誰の真似もしたくない(する意味がない)と意気込んどるこのワタシ、しかしこの男、素直にまさに理想。理想というより何より、俺が前から「ええなぁ」と思い描いとる事を何十年も前にいっぱいやっとる(嫉妬)。何もやってない俺なんかが偉そうに言う立場でもないが(何もやってない事ないがな)、「考え方似とるなぁ」のオンパレードなのである。スターになる事には興味がなく、好きな音楽だけを演り、草原で仲間と何時間もセッションをし、その草原でレコーディングをし、小鳥が鳴く声をそのまま録音したりし、プロモーションが嫌い、時速9kmしか出んワゴンに乗り込んだりし、仕事(音楽)の事にはお金を注ぎ込むがそれ以外は対してどうでもええ男。病気で亡くなるのだが、ラストシーン、病気と闘いながら、facesの名曲「OOH LA LA」をそれはそれは楽しそうに唄う場面=涙直前。こんな映画のパンフレットを手に入れずに帰れる程、俺は野暮ではない。
P.S BGMはもちろん、faces「OOH LA LA」。初めて聴いたのは多分5年位前か。そう、ロニー・レインの名前も知らずに聴いとったのだよ。