November 2015
November 05, 2015
例えば死んだ友達に向けて唄う時 ’15
アルバム作業も区切りがつき、静岡、岐阜、名古屋の旅を終えたら発表だ!などと息巻いていた矢先、突然仲間が死んだ。
明らかに2015年、一番長い時間を過ごした男で親友、分かりやすく書くとパートナーだった。
静岡に向かう30日の朝、ヤツとは連絡が取れずにいた。一緒に向かう予定だった。
怒り9、不安1の胸中で一人バスに乗り込んだ。
他の仲間がヤツを探していた。進展があれば連絡が入る予定だったが、ソレは静岡でのライヴを終えても入らなかった。不安が7になっていた。
「進展は無しか?」と問った。「ありました。あとで電話を」と返ってきた。
「生きとればええ」と一言だけ返した。電話を代わられても怒り狂うだけだと思った。狂いたくはなかった。生きとるなら話は後だと思った。
それでも電話は掛かってきた。
「ウソみたいな話ですけど・・・」、
初めて降り立った静岡の街をウロツキながら電話口の声を聞いていた。
仲間は気を遣い、そんな時間まで知らせずにいてくれた。優しさだろう。
警察がオレのところへきた。こんな時に職務質問かと思い先制をかけた、
「今、大事な話の途中!」、
警察は「そうだと思いました。ただ、ギター盗まれちゃうといけないから」と云った。
オレはギターを置いて少しだけ離れた場所にいた。警察はいい仕事をしていた。
ヤツが死んだ。一緒に旅を続ける筈だった。
「今年はオレのロックンロール元年だ!」などとホザき浮かれていたヤツが勝手に旅を止めやがった。
「色々教えて下さい!」なんて云われれば即座に調子に乗る性分のオレは、伝えられるコトがあるんなら全てを伝えようと思っていた。
コレもアレもソレもと、いつでもアイツのツラが頭の中にあった。そんなヤツが突然死んだ。
ライヴは全て演り切った。投げ出して帰るのはオカマだと思った。岐阜のライヴは痛快だった。ざまあみろ、オレの勝ちだと思った。
ヤツも大好きだった名古屋GURU×GURUへ到着した時、DJ dieマスターがパスを二つくれた、
「ジュンに渡しといて」。
朝まで呑んだ。稲垣俊夫も横に居た。こんな死に方をされて泣いてたまるかと思っていた。怒り10で振り切る事にしたかった。
ヤツの声が時々聞こえてきた、「間違ってました!もう一回、許して!」。
来週は福島と仙台へ行く。それもヤツがついてきてくれる筈だった。
来年の航空券も既に取ってある。キャンセル不可の格安の券だ。骨になったら手荷物でいけますよってか。喋れよ。
お前、死ぬなよ!横の空席を見た時のオレの胸中が分かるか。何回お前の名前を叫べばいい?
お前、濱マイクとドクターフィールグッドのDVD観たんか?返せよ!
北海道の不良達と交わした約束はどうした?破るなよ!
アルバムは完成した。amazonの内容紹介文 はヤツが考えた。「こんな感じでどうですかね?」。
アルバムのデザイン作業は四人の男達で進められた。長く細かい作業だった。その中の一人が完成品を見る直前に死んだ。
「オレも何かやりたい!オレにも手伝えるコトがある筈や!」などとホザきレコード棚を眺めていたアイツが死んだ。
こんなコトが7年前にもあった。10月だった。
お前、死ぬなよ!
ここからまた始めようって時にお前、死ぬなよ。
もう誰も死ぬなよ。死んだら喋れんぞ。死ぬなよ。
死んで皆の心に生き続けますってか。ホザくなよ。