April 2017
April 27, 2017
the AT's Scrap Note vol.2
電車内では背中を丸めた爺ちゃんが手摺に掴まりどうにか立っている。
辺りを見回し空席を探すも空きはない。
座席を確保している呑気な連中は電話機を眺めたり、目を閉じたりしている。
そんな時、オレに出来るコトはイヤホーンで耳を塞ぐだけでは飽き足らず、アイマスクの類いさえ探すってコトだ。
「君はいつも怒ってるね」だとか「アンタはどうして人を見下すコトしか出来ないの」だとか、よく云われる。
「そんなんじゃ長生き出来ないよ」と誰かが云う。しかし何も関係無いってフリをして穏やかに見過ごすコトも出来ず、気付いた時には哀しみと憎しみを背負っている。
オレは怒っているだとか見下しているだとかの前に、哀しみ嘆いているだけなんだけどな。
4月も終わろうかってのにまだ寒い。原因は夜しか出歩いてないって部分だろう。
ところで先日、心の中にビルを持っている偉人に電話をかけた。ほとんど無意識にプッシュボタンを押していた。
加川良の話がしたかったし、なにしろこちとらの勝手な都合でお話がしたかった。
電話は繋がらなかったが、何日後かに折り返しがあった。それだけで嬉しかった。
今、ガラにもなくカラオケにでも行きたい気分。
いい曲を信じ難いほど沢山知っているし、そんな時「こころのなかのビルのお話」でも唄えたら楽しくて気がフレてしまうかもよ。
April 26, 2017
the AT's Scrap Note '17
なんで基本的に目と鼻と口しかないのに人間の顔はこうも違うんだろう。
答えは明快だ。
誰かの陰口と噂話をテーマにしてしか笑いを取れない連中の笑い声が耳に余る、
「アイツって◯◯みたいだよな!」「あの子ってこうらしいよ!」
トーンボリュームのコントロール方法さえ弁えず下品な会話があちらこちらで鳴り響いている。
そんな時、オレに出来るコトはただ一つ、イヤホーンで耳を塞ぎラジオを聴くってコトだ。
そんな連中の面構えを今一度確認してみろよ、答えは明快だ。
捻じ曲がった思考回路はそのまんま面構えに表れるモンだと思う。
オレの好きな人達はもれなく、どんなに悪そうな格好や面構えをしていても、その中に隠しても隠してもバレてしまう優し気な表情が宿っている。
ソレをオレは「ダンディズムの塊」と呼んでいる。
それに気付くコトも出来ない連中は「近寄り難い」の一言でいとも簡単に片付けてしまうだろう。
数え切れん経験を経て、いつかはオレもそこに辿り着きたい。
April 25, 2017
the AT's Drugs Talk '17
茶番劇の永遠なる四番バッターこのワタシ、相も変わらず素っ頓狂な場外ホームランを打ちまくっている内に知らん間に4月は過ぎ去ろうとしている。
歯車は一つずつ狂いだし、ガタピシと音を立てた後、遂に外れた四輪タイヤはそれぞれが別方向に散らばっていく。
なにしろ歌どころじゃない、生きる事からやり直しさ、シオンがスピーカーを突き破って叫んでくる。オレはいつだって新しい詩を作りたいだけなんだけどな。
こちとら思うに、まずはダウンタウンがこの世に存在してなかったらとっくに気がフレてたんじゃないかな。
その昔、お母ちゃんが呟いた言葉が今だって耳から離れない、「なんで基本的に目と鼻と口しかないのに人間の顔はこうも違うんやろな?不思議やで、ほんまに」 。
気が狂ってるってのと正常ってのはほんの紙一重だ、そんなモンは猿でも知っている次第だ。
先日、「トレインスポッティング」の旧作と新作を立て続けに観た。
主役達の気持ちは分かるが、ドラッグをキメた時しか、酔っ払った時しか云いたいコトを云えない人間にはどうにもなりたくない。
望む望まざるに関わらず、気付けば観たいと思う映画のジャスト8.9割がドラッグ映画だ。ドラッグなど映画と本以外で観たコトもないのに。
去年12月、沖縄で共演した男が突然オレに聞いた、
「君はガンジャマンでしょ?」。
オレはその時ただ、ただこう思っただけだ、「そういう類いをガンジャマンって呼ぶのか?」。
オレにとってのドラッグとは?なんて考えてみる。手放したくないモノばかりだ。
なんで基本的に目と鼻と口しかないのに人間の顔はこうも違うんだろう。
精神科医の精神を鑑定してみたい、ソレってほんの紙一重なんじゃないかな。
今、寂れたボーリング場でストライクの数だけを無邪気に競い合いたい気分。
そんな時、すぐ近くに7インチ専用のジュークボックスなんてあれば嬉しくて気がフレてしまうかもよ。
April 06, 2017
the AT's Uncrowned King '17
そうです、それが運命でしょう
気にすることじゃありません
生まれて死ぬまでつきまとうのは
悩みというものだけなのですよ - 加川良 -
夕方に目覚めた瞬間、まず目に飛び込んできたのは加川良が亡くなったというニュースだった。
「ワタシに影響を与えてくださった男」ランキング紛れもないトップ5、病に死すってか。まるで笑えない。
去年2月、「ラブソング」という曲を初めてカバーした。場所は博多だった。
オレもそろそろ、この詩を心から理解して唄わせていただいても良いだろうなどと勝手に判断した。
北の果てから南の町へほっつき歩いて
なんと云われようとやめられないんだ
やめられないんだ
去年6月、下北沢で久方振りにライヴを観た。それは2016年度のマイベストアクトだった。
氏がその「ラブソング」を唄っている時、歌詞を思い出せない表情のままに間奏が長い事続いていた。
客席側から、その思い出せずにいるのであろう部分を唄い出したオレに氏が云った、「ありがとう」。
あれが最後になってしまった。腰を据えて話せる日が来ると勝手に判断していた。
奇しくも高田渡が死んだのと同じ4月に、69にして氏は死んでしまった。
おまわりさん、早く来て
悪い奴等をつかまえて
ロックンロールがやめられないんだ
悪い奴等をつかまえて
思うに、1970年代末までにほとんどの手法はやり尽くされた感がある。
後追い世代はそれ等を如何に巧みに現代に蘇らせるコトが出来るのか否かに過ぎない。
加川良同様、敬愛して止まない松本人志が語っていた言葉がいつだって耳から離れない、
「ガムがあって飴がある。飴の中からガムが出てくるという合わせ技は出来るが、単体のものは既に出尽くしている。それを分かった上で遅れて来た世代は新たなものを生み出していく必要がある。それが遅れて来た世代の宿命だ」。
芸事にもそれはそのまま当て嵌まる。
関係が崩れ、先駆者が死に、「私、妊娠したの」と久方振りに連絡を取った女が囁き、友人は両親を失い、行方不明のヤツは行方不明のままで、オレだけが何も変わらずに此処に居る様に思う。
正義が何処にあるのかも知らんままに。
先日、行方不明のままの友達にオレはメッセージを送った、「まずは生きといてくれ」。
返事はなくても別に構わない、いつかおどけて出てきてくれたならそれでいい。
後悔先に立たず、これも先駆者達が教えてくれた言葉だ。
久方振りにお母ちゃんに電話しようと思う。