June 2017
June 26, 2017
モダンソファに腰掛けて '17
掃除、洗濯、処分、売却、仲間の死、裏切り、信頼の放棄、破綻、無秩序、再生、生きていれば色々とある。
無意味な友達ならすぐ捨てる。必要とされなくなればオレだって捨てられる。そんな風に生きてきた。
「捨てる神あれば拾う神あり」だって?まったくもって諺とはイカしている。
絶望と希望の果てしないジャングルライフを突破しようとしている内に早くも2017の半分が過ぎて行く。
こんな町とはそろそろ別れを告げて、甲子園の近くにでも移転しようかと考えていた。理由ならただ一つ、近くに甲子園があるからに他ならない。
以前、9年4ヶ月も暮らした5畳ワンルームの小屋があった。誰かからもらったマットレスは湿気でヤラれ見るも無惨なズタボロ具合、オレはそれを見て見ぬ振りをしたままその上で眠り続けた。そして誰かからもらった炊飯器は一張羅である筈の服の真横に置かれていた。
オレはそれを解決する知恵も隙間もないほど、その小屋はモノで溢れ返っていた。
その期間で鍛えられた免疫力、精神力ならなかなかに貯蓄がある。貯蓄し過ぎて知らん間にポックリ、なんて事もあるのかも知れない。
とにかくそんな時、猿小屋レコーズと名付けた。周りからは「それ、ダサいで」となったが、オレは断固ソレで貫くんだと決めた。
そんな5畳ワンルームを遂に抜け出し、下北沢のど真ん中に躍り出た。移転作業はあまりにキツかった。大好きな筈のレコードが、何と大嫌いになってしまいそうだった。いつだってオレにはない何かを持っている誰かの力が必要だった。
そして甲子園の近くに行く前に、此処が東京で暮らす最後の場所なんだと覚悟は決めた。
気付けば下北沢という町だけで12年近くの時を過ごしている。今、17年くらい前までは憧れの様な類いを抱いていたこの町はいつの間にか、愛という憎悪で溢れまくっている。
オレの大好きな人間達の気が狂っていようが何かしらの障害者であろうが、心とポリシーを携えた人間である限り、オレは人間が大好きだ。
その考え方自体、人によっては何かしらの病気と捉えてしまうんだろう。精神科医の精神を鑑定してみろよ、きっと重症だ。
ところで、幸いな事にオレは病気でもましてクレイジーでもない。
計画は続行だ。此処が東京で暮らす最後の場所だ。
その為には湿気の対処法、鉄フライパンの正しい洗い方などから学ぶ必要があるんだろう。何しろ知らないコトが多過ぎる。
そんな瞬間、いつも頭に聴こえてくるナンバーがある、
「可能性という名の道がいくつも伸びてるせいで、散々悩みながら何処へでも行けるんだ」、
こちとら、バンプオブチキンの「ダイヤモンド」ってナンバーがどうにも大好きらしい。脳内にはいつだってジュークボックスが置いてある。
明日から始まる8ヶ月振りの北海道セブンデイズ、あの心ある気狂い達が叫んでいる、「待ってるぞー」。
人に待ってもらえる事ほど、幸せな事ってないんじゃないかな。
その前に都議会選挙の期日前投票には行っとこう。オレの真夜中PM15:00に商店街を自らの名前だけ連呼しながら目標も告げず意気揚々と闊歩しているモノホンの気狂いにだけはその清き一票は投じないつもりだ。
魂の解放区で会おう。