January 2025
January 25, 2025
drive my car '25

'21.01.21 - '25.01.20
2020年11月13日、遅れに遅れ馳せながらの念願の免許を取得し、実践あるのみとすぐさまレンタカーに乗り込んだ。ソレを何度か繰り返す内、そのダサさと乗り難さに閉口し、「ひょっとして買っちゃったらどうなるのかしら?」が頭を掠めた。
いくら机上で費用を見積もってみても、実際はどうなるかなど分かる術も学もなく、実践あるのみと車と車屋を探しまくり店舗に乗り込んだ。
この街で車を維持するという事、身分不相応な事をやろうとしているってのは千も承知だった。しかし、残念ながら「前例がないなら作ってしまおうぜ」という言葉を今も愛している。
そして手に入れた車。ギターよろしく、穴が開こうが故障を繰り返そうが乗り続けると誓った車は、たかだか丸4年で、穴が開いても故障してもいない綺麗な状態のまま何処かの街へ走り去って行った。
助手席にお母さんを乗せる夢を叶え、西成を痛快に駆け抜け、軽井沢を疾走し、後部座席にトランクとギターを積んで旅に出た。真夏は汗塗れだったが、ガソリンのいい匂いがした。
思えば車がなければ一生行く事がない様な土地へも沢山出向いた。車中はいつでもヒップミュージックで溢れ、口癖は「何処まででも行けるがな」になった。
車を手に入れた当初、電動開閉窓だけが気に入らず、手動手巻き式の粋な窓に改造してくれる工場がないかを探した。見つからなかった。そんな需要などある筈もなかった。
部屋やファッション、音楽やモラル同様、車には個人の全てが反映される。カスタマイズした車中を一つずつ片付け、ラストランを済ませた後、オレは驚いた事に咽び泣いてしまった。アレには自ら動揺した。
そしてオレは今、昨今のレンタカー車種事情について再度調べているところ。無論、乗りたい車など皆無だ。そして同時にこう思っている、次はグロリアかコロナかセドリックかダットサンかしら。いや、その前にもう一度この車を取り戻そうと。
無事故無違反、譲り合いの精神。
素晴らしい実践だった。また新たな実践を続けようと思う今日この頃。