June 09, 2007

中編・「お父さん」ー壱・弐ー



二〇〇五年、一月の中旬、いつも通り仕事を終え、夕方自転車で部屋に戻ろうとした時だった。急にめまいがして、気分が悪くなり、吐き気がした。午前中、仕事中は何一つ問題がなかったのに、だ。唐突と言う以外例え様なんかない。何とか片道三十分の道のり、自転車をこぎ部屋に辿り着いた。俺はあまり体が丈夫であるとは言えない。しかし、滅多に吐いたりする性質ではなかった。それが全部吐いた。昼間仕事場の食堂で食べた物、コーヒー、水、何も出ん様になってもまだ吐いた。「何で急にこんな展開になるんだ」と理解に苦しみ、しかし明日も仕事だ、その日は静かに黙って眠る事にした。音楽もかけずに、だ。夜二十一時頃か、電話が鳴った。画面には知らん番号。俺はそれどころではないと無視を続けた。その後も何回か鳴った様だが、その日俺が電話に出る事はなかった。翌朝、まだ気分は悪く、仕事を休む事にした。とても三十分かけて仕事場に行き、仕事をこなし、また帰ってくる、そんな気分ではなかった。ゆっくり眠る事にした。ふと目を覚ますとまた知らん番号からの着信履歴が残されてあった。無視を決め込みまた眠る。そして次起きた時、今度はメールだ。送り主には「敏晃」とある。すなわち、俺の兄ちゃん。断っておくがこいつとは一年一回連絡を取ればまだ良い方、そんな仲だ。ぼんやりしたままの頭でその文章に何気なく目を向ける。「高 正登死去」。つまり俺のたった一人のお父さん。たった一行。いつだってこいつはわざとこんな怖い言い回しをしやがる。しかし。冗談にしては程がある。俺はぼんやりした頭で夢なんか現実なんかが全く分からずまた眠る。そして目が覚める度、「夢か、夢だったんか」となる。そしてメールの文章を確かめる。「やっぱり夢じゃない」。身近な人が死んだ時っていうのはきっとこういうもんだ。何回も何回もそんな行動を繰り返す。状況を未だ掴めんまま、やっと夕方電話をかけてみる。何回もかかってきとった、あの知らん番号に。その電話に出た声は、お父さんの再婚相手、相手の人も再婚で、前の旦那さんとの間に出来た子どもを引き取っており、俺と年が近い二人の女の子、新たな家族揃って岐阜に住む、その一人のさとみちゃんだった。
「俺、昨日の夕方から具合が悪くなって電話に出れんかった。敏から聞いたけどほんま?」
「そうなの。で、今日お通やで明日が葬式なの。あき君にも来て欲しくて」
「俺まだ具合が良くないんよ」。
その時点では正直俺、葬式に行く気なんかなかった。そしてそんな会話をしながらも、「一体これは何の話なんだ?」と意味が分からんかった。一回電話を切る。これはほんまの出来事なんかと考える。涙が出る気配もない。ただソワソワしとった。小一時間位経ってまた電話をかけた。
「やっぱり俺行くわ」
「でも具合悪いのに無理して来ても良くないよ」
俺はいつの間にか、絶対行くという気持ちに変わっとった。電話の声はお父さんの弟、お父さんが唯一可愛がっとったというひでのおっちゃんに代わる。
「あき、無理せんでええ、その気持ちだけで充分や。体調が良くなってから線香の一本でもあげてやったらええ」
「いや、大丈夫や。明日朝一番の新幹線で行くわ」。
そして準備を始める。「一体俺は何の準備をしとるんや?何をしに朝一番で岐阜に向かうんじゃろう」と呟きながら。何が何かまだ分かってない。体調は確かに良くはない。でもとにかく岐阜に行く事は決めた。休みを取る為仕事場に電話をかけ店長を呼び出す、
「今日は体の具合が悪くて休んだんですが、実はさっき連絡があってお父さんが死んだんです。今日は通やなんですが、明日の葬式には出たいんでもう少し休みを下さい」。休む為の良くある嘘のパターン。でも俺はこんな嘘だけは絶対につかん。嘘と捉えられたら困ると思った。店長は言った、
「あらら、お気の毒に。体は大丈夫か?分かったよ、気をつけて」。
ほんまに心配してくれとる様な、そんな声だった。でもやっぱりそんな話をしてもまだ、お父さんが死んだという事、これは信じてなかった。

弐  

翌朝、普段は滅多に乗る事がない新幹線に乗り込んだ。微熱が続いとった。手には喪服が詰まったバッグなどを抱えとる。「こんなモン持って俺は何処行くんや」、あるのはそんな気持ちだけ。お父さんの事を何気なく考えながら窓の外を見とった。持ってきたウォークマンでも聴くか。何曲か過ぎた後、加川良の「その朝」が流れ始めた。

寒いある朝 窓辺に立っていたら 
かあちゃん連れて行く 天国の車がやって来た
やがて俺達 一人ぼっちになるのかな 
でもよー 俺が死んだら また母ちゃんに会えるよネ 

車屋さん 車引きさん 静かに頼みます
あんたが連れてゆく それは寝てる母ちゃんだからネ
やがて俺達 一人ぼっちになるのかな
でもよー 俺が死んだら また母ちゃんに会えるよネ

涙こらえどこまでも 車の後を追いかける
でも母ちゃんが墓に入る時 目の前がかすんだヨ
やがて俺達 一人ぼっちになるのかな
でもよー 俺が死んだら また母ちゃんに会えるよネ

もちろんお母さんは元気だ。そうじゃないと困る。広島でたった一人で暮らしとる。いつかええ思いをさせてやりたいと思っとる。俺はその唄の「母ちゃん」の部分を「お父さん」に変えて、また「母ちゃん」がもしもそうなった時の事を考えて、泣いた。新幹線の中で、その話を聞いてから初めて涙が出た。ハンカチも何も持ってない。でも関係ない、顔を出来るだけ隠して、ただただ泣いた。


at 00:44│Comments(0)TrackBack(0)小説風 

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