June 09, 2007
中編・「お父さん」-参・四ー
参
お父さんと話したのは、年末にかかってきた電話が最後だった。小学校の時に別れたお父さん。再会したのは俺が東京に出て来てから半年位経った頃だった。十年位会ってなかった。岐阜におる事、再婚した事、養子になり苗字が中村に変わった事、血は繋がってないが子どもがおる事、そんな話は会う前から何となく聞いた事があった。でもそんな話を聞いた時も俺は、「おいおい、このおっさんは何を言うとる」と理解に苦しんだ。そもそも俺にはお母さんと離婚しとるという事さえ、正確には掴めてなかった。ゴールデンウィーク、会いに行った。駅で敏とお父さんが並んで待ってくれとった。再会した時の感覚、あれを言葉で表せる程、俺には文才がない。お父さんは俺の事を「新たな家族」に紹介した。「はいはい、男前がやって来ましたよ」。その時に全てを悟った。「そういう事なんか」。許すも許さんもなかった。「新たな家族」、おばちゃん、さとみちゃん、しほちゃんとは自然と何となくすぐに打ち解ける事が出来た。その再会は楽しかった。でもやっぱり引っ掛かる事があった。お母さん。岐阜ではお父さんが「新たな家族」を作りワイワイ暮らしとる。でもお母さんは広島で一人。その事実が嫌で嫌でしょうがなかった。この中にお母さんが入るスペースはないんか。「お母さんは今頃仕事を終えて、御飯でも作って食べとる頃かな」と、そんな事ばっかり浮かんだ。印象的な出来事がある。車の中でお父さんと二人になった時、聞いた。
「お母さんとは離婚したん?」
「そんなモンとっくにしとるで」
そりゃそうよな。納得せざるを得ん。お父さんには多額の借金があった。詳しくは知らんが、それが離婚の大きな原因じゃないかと思う。そして借金の話になった、
「お父さんはもう借金返さんでええ事になってん」
「何で?」
「何でて事ぁないよ。そりゃ色々あるわな」。
それ以上は聞かんかった。「色々あるんじゃろうなぁ」と思っただけだ。夜行バスで東京に戻る時、見送ってくれる「新たな家族」を窓の外で見ながら、俺は色んな事を感じて、泣いた。そしてその一年後の夏、今度は彼女を連れて再び岐阜を訪れた。お父さんは彼女を可愛がった。新しい車を手に入れたという。さとみちゃんが言った。
「この車、あき君達が来るから買った様なもんなんだよ!」。
嬉しかったけど寂しかった。そのお金を、お母さんに回してやってくれんか。お母さんに悪い事をしとる気がしながらも、その時も結局楽しかった。俺のお父さんはこの人だけだ。彼女も楽しんどる様子だった。そしてそれがお父さんと会った最後になった。それから二年以上経った年末の電話。体の調子が快調ではない事はその間にも何となく聞いとった。
「煙草をあと一本でも吸うたら命の保障ない言われとるんや」
「で、吸ってないんじゃろ?」
「そやけど仕事もせんとずっと家におったらやっぱり吸うてまうわなぁ」
笑い話だった。俺も「それはいかんで」と言いながらも、特に問題はなさそうじゃなと思って笑った。
「今、ウサギを飼うとるんや。また年明けて落ち着いてからでも彼女と一緒に遊びに来たらええわ」
「うん、二月くらいに、行けたらええと思っとるんじゃわ」。
それが最後だった。
四
岐阜に着き、電車を乗り継ぎ指定された場所へ行く。さとみちゃん、しほちゃん、そしてひでのおっちゃんが迎えてくれた。
「よー具合悪いのに来てくれたなぁ、兄貴も喜んどるわ」。
早速しほちゃんの車に乗せられ、葬式会場に向かった。葬式が始まるまでにはまだ時間があるが、「先に顔だけでも見てもらおうと思って」という事だった。その時は一旦泣き止んどった。「俺は何しに来たんや」という気持ちにまた戻っとった。車が式場に着いて中に入る。遺影、花、準備の整った会場。「こっちだよ」と急かされ棺桶に入れられたお父さんを見た時。立ち尽くした。あんなのは立ち尽くすしかない。それしかない。遺影の、俺が知らん頃の写真と棺桶の中に入れられた顔を交互に見ながら、今度は顔も隠さず泣けるだけ泣いた。
「勝手な事ばっかりしやがって」
「馬鹿みたいな顔しやがって」
そう思いながら泣いた。今すぐにでも起き上がって「よぉ!」とでも言いそうな、そんな顔だった。言って欲しかった。控え室みたいな所に行くと、滅多に会う事のない、親戚の人達がいっぱいおった。「会う事がない」と言うより、俺にはほとんど記憶にない人達ばかりだった。
「私の事覚えてる?覚えてるわけないよねぇ。だってこんな小さかったもんねぇ。こんな機会でしか顔合わせへんなんて寂しいよねぇ」。俺は東京で音楽をやっとる事、兄ちゃんの嫁はろくでもない奴で、俺は敏と血が繋がっとると思えん、といった類の事を話した。
お父さんと話したのは、年末にかかってきた電話が最後だった。小学校の時に別れたお父さん。再会したのは俺が東京に出て来てから半年位経った頃だった。十年位会ってなかった。岐阜におる事、再婚した事、養子になり苗字が中村に変わった事、血は繋がってないが子どもがおる事、そんな話は会う前から何となく聞いた事があった。でもそんな話を聞いた時も俺は、「おいおい、このおっさんは何を言うとる」と理解に苦しんだ。そもそも俺にはお母さんと離婚しとるという事さえ、正確には掴めてなかった。ゴールデンウィーク、会いに行った。駅で敏とお父さんが並んで待ってくれとった。再会した時の感覚、あれを言葉で表せる程、俺には文才がない。お父さんは俺の事を「新たな家族」に紹介した。「はいはい、男前がやって来ましたよ」。その時に全てを悟った。「そういう事なんか」。許すも許さんもなかった。「新たな家族」、おばちゃん、さとみちゃん、しほちゃんとは自然と何となくすぐに打ち解ける事が出来た。その再会は楽しかった。でもやっぱり引っ掛かる事があった。お母さん。岐阜ではお父さんが「新たな家族」を作りワイワイ暮らしとる。でもお母さんは広島で一人。その事実が嫌で嫌でしょうがなかった。この中にお母さんが入るスペースはないんか。「お母さんは今頃仕事を終えて、御飯でも作って食べとる頃かな」と、そんな事ばっかり浮かんだ。印象的な出来事がある。車の中でお父さんと二人になった時、聞いた。
「お母さんとは離婚したん?」
「そんなモンとっくにしとるで」
そりゃそうよな。納得せざるを得ん。お父さんには多額の借金があった。詳しくは知らんが、それが離婚の大きな原因じゃないかと思う。そして借金の話になった、
「お父さんはもう借金返さんでええ事になってん」
「何で?」
「何でて事ぁないよ。そりゃ色々あるわな」。
それ以上は聞かんかった。「色々あるんじゃろうなぁ」と思っただけだ。夜行バスで東京に戻る時、見送ってくれる「新たな家族」を窓の外で見ながら、俺は色んな事を感じて、泣いた。そしてその一年後の夏、今度は彼女を連れて再び岐阜を訪れた。お父さんは彼女を可愛がった。新しい車を手に入れたという。さとみちゃんが言った。
「この車、あき君達が来るから買った様なもんなんだよ!」。
嬉しかったけど寂しかった。そのお金を、お母さんに回してやってくれんか。お母さんに悪い事をしとる気がしながらも、その時も結局楽しかった。俺のお父さんはこの人だけだ。彼女も楽しんどる様子だった。そしてそれがお父さんと会った最後になった。それから二年以上経った年末の電話。体の調子が快調ではない事はその間にも何となく聞いとった。
「煙草をあと一本でも吸うたら命の保障ない言われとるんや」
「で、吸ってないんじゃろ?」
「そやけど仕事もせんとずっと家におったらやっぱり吸うてまうわなぁ」
笑い話だった。俺も「それはいかんで」と言いながらも、特に問題はなさそうじゃなと思って笑った。
「今、ウサギを飼うとるんや。また年明けて落ち着いてからでも彼女と一緒に遊びに来たらええわ」
「うん、二月くらいに、行けたらええと思っとるんじゃわ」。
それが最後だった。
四
岐阜に着き、電車を乗り継ぎ指定された場所へ行く。さとみちゃん、しほちゃん、そしてひでのおっちゃんが迎えてくれた。
「よー具合悪いのに来てくれたなぁ、兄貴も喜んどるわ」。
早速しほちゃんの車に乗せられ、葬式会場に向かった。葬式が始まるまでにはまだ時間があるが、「先に顔だけでも見てもらおうと思って」という事だった。その時は一旦泣き止んどった。「俺は何しに来たんや」という気持ちにまた戻っとった。車が式場に着いて中に入る。遺影、花、準備の整った会場。「こっちだよ」と急かされ棺桶に入れられたお父さんを見た時。立ち尽くした。あんなのは立ち尽くすしかない。それしかない。遺影の、俺が知らん頃の写真と棺桶の中に入れられた顔を交互に見ながら、今度は顔も隠さず泣けるだけ泣いた。
「勝手な事ばっかりしやがって」
「馬鹿みたいな顔しやがって」
そう思いながら泣いた。今すぐにでも起き上がって「よぉ!」とでも言いそうな、そんな顔だった。言って欲しかった。控え室みたいな所に行くと、滅多に会う事のない、親戚の人達がいっぱいおった。「会う事がない」と言うより、俺にはほとんど記憶にない人達ばかりだった。
「私の事覚えてる?覚えてるわけないよねぇ。だってこんな小さかったもんねぇ。こんな機会でしか顔合わせへんなんて寂しいよねぇ」。俺は東京で音楽をやっとる事、兄ちゃんの嫁はろくでもない奴で、俺は敏と血が繋がっとると思えん、といった類の事を話した。