October 07, 2008
のえさんにロックンロールを
予定を大幅に変更して書く重要なお知らせがある。
今年8月10日、大阪は十三テハンノでライヴを演った時、「のえ」という女うたうたいと一緒になった。俺が唄い終わった直後、彼女とはリハーサルの時間、ほとんど話をしてなかったにも関わらず、「CD一枚予約ね」と嬉しい声を掛けてくれた。俺が三番手でトリがのえさんだった。彼女は唄った、金延幸子を思わせる、自然でありながらグッと心に響く唄を彼女は唄った。素直にまた一緒に演りたいと思った。連絡先を交換し、東京にも呼ぶ約束をした。
9月27日、大阪は十三クラブウォーター、東京での企画の話をしたい事もあり、俺は彼女をライヴに呼んだ。「お金がないかも」という彼女に、「出来れば来てほしいし観てほしい」と伝え、そして彼女は足を運んでくれた。
終演後、企画の話をはじめ、レコード漁りの話、深夜高速バスの話、新宿のガード下や吉祥寺で弾き語りをしたという話、とにかく色んな話を繰り広げる事が出来た。12月21日に「のえ バースディライヴ」が十三テハンノであり、それには特別気合いを入れたい為、東京での俺の企画は12月前半がありがたいという事だった。10日か11日辺りに狙いを定め、俺は「下北沢off beat」に連絡を取った。
12月のもう一つの企画とは、女うたうたいだけを集めての
「ブレイクスルー・アコースティック vol.5」
これにのえさんを迎えて演り合う予定だった。
東京に戻って来て、のえさんから連絡が入った。
「夜分に失礼します。再会できたこと嬉しいです!
12月のライブ♪詳細決まり次第、連絡ちょうだいね。めちゃめちゃ楽しみワクワクドキドキしてます!不器用なもんで真っ向勝負でいかせてもらうわ。
私のホムペhttp://www.freepe.com/i.cgi?816912良かったら是非読んで下さいませ。
とにかく音楽うた♪でつながられるのは、めちゃめちゃ嬉しいです!」(本文そのまま)。
「俺だってめちゃめちゃ嬉しいです」、俺は返した。
本日新宿スモーキンブギ、本番前に「下北沢off beat」から連絡が入り、俺はのえさんに早急に確認のメールを送った。
本番終了後、カウンターで寛いだその瞬間、「十三テハンノ・渡部百」と登録された宛先からメールが届いた。
昨日テハンノで唄った十条フォークジャンボリーの事か、はたまたライヴのお誘いか、とにかく嬉しい気分で文章を開いた。
しかしそこには血の気の引く様な文章があった。
「のえさんが昨日亡くなりました」。
こんな馬鹿げた話があるのか。何度も文章を読み返して震えた。そんな訳がない。全くもって信じられる筈がない。
俺が知った場所も新宿、すなわち、のえさんがガード下で唄った街。クラブウォーターに会いに来てくれたのもそんな話をしたのも必然だったのか。
つい先程、企画の最終確認の連絡をしたばっかりだったのに。
つい一週間前に、あんなに楽しみだと言い合ったばっかりなのに。
こんな事が実際に起こりうるというこの事実。
やり切れず、ぼーっとしたまま部屋に戻った。電車の中で周りの奴等を見ながら、
「こいつら死んでも何も思わんかも知れん」、そんな事を考えた。こんな事考えたらいけんけど、「何でこいつらじゃなくてのえさんが死んだんや」、そんな事を思った。思ってしまった。
12月10日(水)、企画は予定通り行う事になると思う。ただ一つだけ違う点は「追悼」の意志をはっきりと掲げる事。
「バカヤローが、死んだらもう唄えんやないか。あんなに音楽好きなくせに」
こう罵ってやろう、それしかない。
「忘れずに唄っていってあげてください」、渡部百さんからの文章。
俺は唄い続ける。
大阪でも追悼ライヴを演りたいし、線香も上げに行きたい。
心から御冥福をお祈りします。
P.S リンク集にもある、「うたうたい のえ」のページ、一度見てみてほしい。俺は二回しか会ってないし付き合いも浅いが、そんな事は断じて関係ない、もっともっと長い付き合いがしたかった。
今年8月10日、大阪は十三テハンノでライヴを演った時、「のえ」という女うたうたいと一緒になった。俺が唄い終わった直後、彼女とはリハーサルの時間、ほとんど話をしてなかったにも関わらず、「CD一枚予約ね」と嬉しい声を掛けてくれた。俺が三番手でトリがのえさんだった。彼女は唄った、金延幸子を思わせる、自然でありながらグッと心に響く唄を彼女は唄った。素直にまた一緒に演りたいと思った。連絡先を交換し、東京にも呼ぶ約束をした。
9月27日、大阪は十三クラブウォーター、東京での企画の話をしたい事もあり、俺は彼女をライヴに呼んだ。「お金がないかも」という彼女に、「出来れば来てほしいし観てほしい」と伝え、そして彼女は足を運んでくれた。
終演後、企画の話をはじめ、レコード漁りの話、深夜高速バスの話、新宿のガード下や吉祥寺で弾き語りをしたという話、とにかく色んな話を繰り広げる事が出来た。12月21日に「のえ バースディライヴ」が十三テハンノであり、それには特別気合いを入れたい為、東京での俺の企画は12月前半がありがたいという事だった。10日か11日辺りに狙いを定め、俺は「下北沢off beat」に連絡を取った。
12月のもう一つの企画とは、女うたうたいだけを集めての
「ブレイクスルー・アコースティック vol.5」
これにのえさんを迎えて演り合う予定だった。
東京に戻って来て、のえさんから連絡が入った。
「夜分に失礼します。再会できたこと嬉しいです!
12月のライブ♪詳細決まり次第、連絡ちょうだいね。めちゃめちゃ楽しみワクワクドキドキしてます!不器用なもんで真っ向勝負でいかせてもらうわ。
私のホムペhttp://www.freepe.com/i.cgi?816912良かったら是非読んで下さいませ。
とにかく音楽うた♪でつながられるのは、めちゃめちゃ嬉しいです!」(本文そのまま)。
「俺だってめちゃめちゃ嬉しいです」、俺は返した。
本日新宿スモーキンブギ、本番前に「下北沢off beat」から連絡が入り、俺はのえさんに早急に確認のメールを送った。
本番終了後、カウンターで寛いだその瞬間、「十三テハンノ・渡部百」と登録された宛先からメールが届いた。
昨日テハンノで唄った十条フォークジャンボリーの事か、はたまたライヴのお誘いか、とにかく嬉しい気分で文章を開いた。
しかしそこには血の気の引く様な文章があった。
「のえさんが昨日亡くなりました」。
こんな馬鹿げた話があるのか。何度も文章を読み返して震えた。そんな訳がない。全くもって信じられる筈がない。
俺が知った場所も新宿、すなわち、のえさんがガード下で唄った街。クラブウォーターに会いに来てくれたのもそんな話をしたのも必然だったのか。
つい先程、企画の最終確認の連絡をしたばっかりだったのに。
つい一週間前に、あんなに楽しみだと言い合ったばっかりなのに。
こんな事が実際に起こりうるというこの事実。
やり切れず、ぼーっとしたまま部屋に戻った。電車の中で周りの奴等を見ながら、
「こいつら死んでも何も思わんかも知れん」、そんな事を考えた。こんな事考えたらいけんけど、「何でこいつらじゃなくてのえさんが死んだんや」、そんな事を思った。思ってしまった。
12月10日(水)、企画は予定通り行う事になると思う。ただ一つだけ違う点は「追悼」の意志をはっきりと掲げる事。
「バカヤローが、死んだらもう唄えんやないか。あんなに音楽好きなくせに」
こう罵ってやろう、それしかない。
「忘れずに唄っていってあげてください」、渡部百さんからの文章。
俺は唄い続ける。
大阪でも追悼ライヴを演りたいし、線香も上げに行きたい。
心から御冥福をお祈りします。
P.S リンク集にもある、「うたうたい のえ」のページ、一度見てみてほしい。俺は二回しか会ってないし付き合いも浅いが、そんな事は断じて関係ない、もっともっと長い付き合いがしたかった。