June 29, 2009

長編・「愛すべき日々」 一~五

一、

東京に出て来て初めての夏、すなわち2001年8月、「斉藤荘E号室」とネーミングされた共同玄関共同トイレ風呂無四畳半のブタ箱の様な俺の部屋にはエアコンはおろか、扇風機さえなかった。

四つ上の、話が噛み合う事など滅多にない兄ちゃんがこの時ばかりは俺に言った、

「おいお前、扇風機くらい買え」

俺は答えた、

「ほっとけ、そんな贅沢する為に東京来たんちゃうぞ」

お母さんはハナで笑った、

「アンタ、阿呆ちゃうんか」

その時、俺にはお金があった。広島で貯めた120万円がしっかりとあったが、俺はそんなモノにお金を使うつもりなど毛頭なかった。

俺は自分に酔っていた。いつか笑い話になるぞと言い聞かせ、そんな暑さよりもレコードやら楽器やらで床が抜けんかどうか、レコードが曲がったりせんかどうか、ネックが反ったりせんかどうか、汗を垂れ流しながらそんな事柄だけを気遣い続けた。

東京に出て来ると決めた時、俺は仕事やら何やらに追われて、東京にて目的が疎かになってしまう事を極端に恐れていた。

二、

20歳の誕生日までに120万円貯めてやろうと思った。高校を卒業して、新聞配達ーレンタル屋ーパチンコ屋のローテーションで、朝から晩までボロカス文句を吐き出しながらもとり憑かれた様に働き、俺は文字通り夢に溢れ、ドキュメンタリーと捉え、そしてどうやら矢沢永吉の「成り上がり」に強い影響を受けていた。

新聞配達は中学校に入学する前から続いていた。エレキギターが欲しかった。苦労を味わうべきだと思った。そして周りが手をつけてない事を誰よりも先にやりたかった。俺は毎朝鳴り響く黒電話で叩き起こされ、遅刻の常習犯だった。ギターは中学1年の12月に手に入れたが、俺は意地でも新聞配達を続けてやろうと思っていた。

パチンコ屋一本に絞った方がお金を貯めるには手っ取り早い事くらい俺にも分かったが、俺はそれを馬鹿みたいに拒み続けた。

「お前は馬鹿か?」「何でそんな遠回りするの?」と笑われもしたが、俺はその頃からどうやら不器用で遠回りを愛し、そして人に指図される事が何よりも嫌いだった。俺は意地と勢いと夢、そしていつか笑い話にする事だけしか考えてなかった。

ほとんど何も食べず、そして何も飲んでなかった。俺はいつもお腹を空かせていた。俺の「ケチ具合」は周りであまりに有名になったが、そんな事はどうでも良い事だった。「お前等とは目的が違う」と笑い飛ばし、周りはその徹底加減に驚いていた。何か食べ物や飲み物がなくなると決まって俺のせいにされた。俺はそれが嬉しかった。おーここまできたか、思った。「残った食べ物はこいつが全部片付ける」、そんな決まりが生まれた。俺が俺を作り出した瞬間だった。周りも呆れて笑い出した。俺は何かにとり憑かれていた。自動販売機もコンビニエンスストアも全てを俺は素通りした。外食なんて奇跡の出来事だった。レコードと服、そしてライヴ観賞の為に使うお金だけは別腹だったが、昼休憩には本を読み、レンタル屋とパチンコ屋へ行くまでの僅かな時間はただただ横になって過ごした。

三、

1999年12月13日、19歳の誕生日に俺は新しいエレキギターを手に入れた。それはエピフォン製で色は愛すべきエンジ、カタログを見て取り寄せ、値段は9万いくらだった。

お母さんは「そんなお金があるなら回してくれ」と嘆き、兄ちゃんは「こいつは気が狂っている」と哀れんだが、俺は大事な事だけは忘れたくなかった。お金を貯めながら、俺が必要とするモノにはお金を使い続けた。

四、

ある日、原付バイクでパチンコ屋へと向かう途中、車と接触事故を起こし、俺は倒れ込んだ。俺の原付バイクには何故か「サニーディ・サービス」とシンプルに書かれたステッカーが貼ってあり、運転手は「どこかの業者の方ですか?」と俺に聞いた。俺は適当な返事をして運転手と別れ、仕事を休んでゆっくりするには絶好の機会だと思ったが、俺はその夜もパチンコの玉を気が狂った様に運び続けた。俺は意地と勢いと夢、そしていつか笑い話に変える事しか考えず、主人公を勝手に演じ続けた。

パチンコ屋に高校時代の同級生の女の子が偶然やって来た。その女の子は卒業したら大阪でお笑いを目指すと言い続けていた。

「大阪には行ってないんか?」

「あぁ、それ辞めたわ」


こいつは頭がおかしいのかと本気で思った。何故、始める前に辞める事が出来るのか、俺にはそれが不思議で不思議でしょうがなかった。

楽しみは夜だった。詩を書いたり曲を作ったりしながら、座椅子に座りギターを抱えて電気も点けたまま毎日気付けば眠りについた。

五、

2000年4月、新しいバンドを結成した。俺はシンプルに「トライアングル」と名付けた。ドラムは顔見知りでベースはパチンコ屋で知り合った男、俺は新しいギターを弾ける喜びに満ちていた。完全に自分の都合で事を進めていた。ある時、ベースの男に「こいつは何か違う」という感情が生まれ、それは日々強くなっていった。俺は電話で何かしらの理由をつけ、「もうええで」とクビを宣告した。すぐ近くにおったであろう男の彼女が突然電話口にシャシャリ出てきた。

「アンタどういうつもり?ちょっといつも自分勝手過ぎるんじゃないの?」

女は吠え、割れんばかりの声で叫んでいた。俺の事が心底嫌いといった口調だったが、俺はその女と会った事も話した事もなかった。

「お前一体誰や?女が外野席からゴチャゴチャと口を挿むな、このタコ!」

俺は口が悪かった。散々怒鳴り散らした後、黒電話の受話器を叩き切り、このカップルを哀れんだ。「彼女がどうのこうの」、俺はそんな事柄が心底嫌いだった。

次のライヴも次の次のライヴも決まった状態だった。駅前で弾き語りをしていた話した事もない同い年の女の子に声をかけ、「ベースを弾いてくれ」と頼み込んだ。返事は二つ返事で「オーケー」だった。

2000年8月、「ティーンズ・ミュージック・フェスティバル」の予選に出場した。20組中3組が岡山大会に進出出来る仕組みだった。

俺は自信に満ち溢れており、「こんなんも通らん様なら直ちに解散してやるぜ」とメンバーに息巻いた。俺は自分に酔っていた。通常2曲までのところ、無理矢理3曲を詰め込んだ。俺は指図される事を極端に拒んでいた。ドラムセットの上に飛び乗り叫び続け、俺はステージで暴れながら感情を爆発させ、「分かる奴だけついて来い」と調子に乗り続けていた。重要なのはインパクトを与える事で、俺は自然と湧き出て抑える事さえ不可能な「パンク精神」とやらに酔い続けていた。

結果は予選敗退だった。俺は他の訳の分からんバンドが選ばれる光景を目の当たりにし、「ふざけるのもええ加減にしろ」と吠え続け、そして気付けば悔しくて泣いていた。バンドはその後ちょっとしてから解散した。東京に行く日が確実に近付いていた。


at 23:46│Comments(0)TrackBack(0)長編 

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