July 01, 2009

長編・「愛すべき日々」 九~十三

※一~八は下段

九、

寝台列車は走り続けた。いつまでも泣き続ける程に野暮でもなかった。大荷物を眺めながら、いよいよこの時が来たと胸を躍らせていた。頭に描いた事を実行に移した事実、これだけで俺は誇らしい気分になっていた。

朝、列車は東京に到着した。俺は大荷物のほとんどを駅構内のロッカーに預けて、とりあえず三軒茶屋に借りた愛すべき部屋、「斉藤荘」に向かおうと思った。荷物はまた後で取りに来れば良いと思った。距離感などまるでなかった。俺は20歳になっていた。


十、

2000年11月、19歳の時、俺は初めて東京という街に足をつけた。予め部屋を決めておく為だった。誰かがプレゼントしてくれた東京住宅情報誌を俺は読み漁っていた。いくつかの街の名前は既に俺の頭にあった。それは全て、ライヴハウスが数多く存在する街の名前だった。それは音楽雑誌を読みながら自然と頭の中にインプットされていた。

明け方、夜行バスは新宿に到着した。安い物件が数多く紹介されていた渋谷の不動産屋に行く事を決めていた。時間はまだ早く、俺はその不動産屋が開く時間まで渋谷の街を歩き続けた。初めて東京という街に足をつけるその時まで、俺は東京を外国の様に感じていた。広島の友達は「東京なんか住む所じゃないぜ」などと、住んだ事も町を出た事もない奴が語っていた。

渋谷の街を歩きながらすぐにその間違いに気付いた。すなわち「所詮日本やないか」といった気分になった。そして「広島も東京も田舎も都会も関係ないがな」と思ったと同時に、俺は東京生まれじゃなくて良かったとも感じていた。

そして気付けば俺は「渋谷タワーレコード」に辿り着いていた。探し歩いた訳でもなく、突然目の前に「渋谷タワーレコード」は現れた。東京に出て来る前に、俺はこの大型店に電話を入れて履歴書を送った事があった。開店前のガラス扉にへばりつき、俺は確かに感動を憶えた。不動産屋へと向かう歩道橋の上からは「HMV」の大きな看板が見えた。「住む部屋をとっとと決めて、余った時間でレコード漁りに繰り出そう」と俺は考えていた。

十一、

「四万円以内で出来れば風呂付、下北沢がベスト」

不動産屋の姉ちゃんに条件を告げたが、「東京は家賃高いですよ」とあっさりと断わられた。その代わりにと出された物件は「共同玄関共同トイレ風呂無四畳半」の三軒茶屋近く、若林という街の「斉藤荘」という三万二千円のアパートだった。線路図を見せられ、

「ここが渋谷でここが三軒茶屋、ここが下北沢で・・・」

説明された。

「へぇ、ほぉ、あぁ、そう」

俺は頷き続けた。

考えてみれば風呂付などあまりに贅沢で、俺は一番下の部分から始めるべきだと思った。下の部分から始めればそれ以上悪くなる事もなく、もし上り詰めたとしてもその時の気持ちを忘れる事もない。そして何より「共同玄関共同トイレ風呂無四畳半」という響きに対して俺は強いロマンを感じていた。おまけに三万二千円とは広島の家の家賃と全く同じ金額だった。


十二、

田園都市線に乗り込み不動産屋の男と三軒茶屋へ向かった。見るもの全てが新しかった。「斉藤荘」に辿り着き、その造り、その雰囲気、その部屋を見て、俺は他を見て回る必要を感じずその場で即決を下した。部屋探しには時間をかける予定だったが、俺にはここがぴったりだと直感し、そして「とっととレコード漁りに繰り出したい」という気持ちも強くなっていた。

十三、

部屋が決まればこっちのモンで、俺は安心に満ちた表情でレコード漁りに繰り出した。色々な街を徘徊し、何度も「所詮日本やないか」と感じていた。

レコードとCDを23、4枚手に入れ、両手いっぱいの荷物を抱えて歩いた。その時、何を食べたのか、どこで寝たのかはまるで憶えてないが、俺の胸は躍り続け、そして何かにとり憑かれていた。事を終え、俺は予定よりも一日早い夜行バスに乗り込み広島へと帰った。

お母さんはそのレコードを見て呆れ返り、女の子は「良かったね」といった面持ちで笑っていた。「聴かせたろか?」、俺は音楽が好きで、やりたい事が明確にあった。誰かはそれを「羨ましい」と言い続けていた。俺は19歳で、全てを捻じ伏せてやろうと企んでいた。それと同時に、一ヵ月後にはあの「斉藤荘」に住む事になるんかと、絵空事の様に感じていた。





at 15:44│Comments(0)TrackBack(0)長編 

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