May 23, 2010
拝啓・ウラベ先生
小学三年生の時、随分と長い間、登校拒否をした。
いじめられっ子を演じる事にウンザリときていたし、どうやら実際にいじめられてもいた。
ある時、三年三組の出来うる限り全員が、先生を先頭に俺の家へと押し掛けて来た。
俺は一人、気ままにテレビを見ていた。
幸か不幸か、俺の住むアパートは学校から僅か徒歩3.2秒、
文字通り目と鼻の先にあった(今もある)。
「学校来いよ」、誰かが言った。
「何で来ないんだ」、先生が言った。
「制服が今はない」、戯けた言い訳で適当に逃れようとした。
結果、毛玉だらけのスゥエット上下で俺は学校に連れ戻され、
何ヶ月か振りに「皆」と給食を食べた。
「今日はこいつと一緒に帰ってやろう」、誰かが言った。
「こんな格好じゃ可哀想だから」、誰かが言った。
そんな類いの同情が大嫌いだった。
「同じ事をする」という行為が大嫌いだった。
それにボンクラ共、もう忘れたのか、
俺の住んでいるボロアパートは学校から僅か徒歩3.2秒、目と鼻の先だぜ。
「こいつら何一つ分かってないぞ」、同じ歳の連中をハナで笑っていた。
「音楽発表会」のビデオを教室で見た時、俺は一人だけ浮き、とても恥ずかしそうに映っていた。
あれは恥ずかしかったんじゃない、
「同じ事をしている」という事実に閉口し、単純に居場所を失っていたのだ。
拝啓ウラベ先生、あれから約22年、今も生きているかい?
おかげで俺は強靭な武器を手に入れ、まだまだ活きている。
学校は「その点を学ぶ」という意味にかけてはとてもヒップな場所だ。