July 20, 2010
至福のビート ’10

要するに「~ます」だとか「~をやりました」だとか何だとか、
ただ「報告」、感謝を述べているだけの文章をどうしようもなく毛嫌いしている。
ほとんどの読み物がそんな類いで成立し、「ブログ」だとか「呟き」だとか何だとかと呼ばれている。
それを読んで面白さなど感じるか?
答えはノー、断固ノー、すなわち、イエスになる確率はゼロ近辺。
そもそも文章に面白さ、躍動さ、テンポ感、
それ自体、ほとんどの人間が求めていないのかも知れない。
誰かは激しく罵るだろう、
「何が悪いんだ、この神経過敏野郎!!」
その意見、100%中2023%正しい。
理不尽な事柄で以外、言い争いなどしたくもない、
何たってこちとら、とやかくヌカす権利などどこにもない事位は存分に弁えている次第。
迷惑がないなら好き勝手にやれば良い、
但し、俺も俺で好き勝手にやるというだけの話だ。
俺よりも俺を知っていると思える奇跡の男が言ってたぜ、
「アンタの文章は弱者への優しさだ」
読む人間が勝手に解釈する、してくれる、
要するに俺は俺で好き勝手にやりやがれというだけの話だ。
訳の分からんコメントをわざわざ入れてきやがる永遠の負け組に俺が何より嫌いな言葉を贈ってやろう、
「頑張れ」
ある人間によってはこんな駄文、「今世紀最大の与太話」と片付けられて終いだ。
暫らく顔を合わせていない男の名言が豪快なるフラッシュバック、
「一字でも変更しろという出版社がいるなら、そんな出版社はほっとくべきだ」
要するに俺は俺で好き勝手にやっているというだけの話、
お金を稼げるかどうかなんて二の次だ。
22、3歳の時分、本ばかり読んでいた俺に、一緒に暮らしていた永遠のモダンガールが囁いた、
「アンタは絶対にそんな仕事をするべきよ」
メロディに詩を乗せるって行為が億劫にも感じられる昨今の胸中事情、
とにかく毎日、新しい唄、テーマが生まれているが、
メロディに縛られて巧くいかないなんて本末転倒も甚だしい始末。
ウィットと教養を兼ね合わせたヒップガールの呟きが満面なるフラッシュバック、
「常に路地裏で闘っているイメージ」
バットしかし、俺は常に真っ正面から勝負している、
そしてそんなイメージを作り上げているのもきっと俺自身だという事実。
ところでそんな「今世紀最大の与太話」はともかく、
果てしないテクニカルの荒波を突破して手に入れる休日、
明日はどこのどいつが何と罵ろうと修理に出した愛すべきブーツを受け取り、
そして旅に出「ます」(報告文乱用)。
「世界のハイボール」の空き缶が10本集まったからようやくボーリング遊びが出来「ます」(ファッキン文応用)。
「くだらない」、そいつが俺の口癖
これは4年以上前に書いた歌詞「です」(報告文借用)。