November 23, 2010
不敵なシュルレアリスト達 ’10
「うだつが上がらん」ってのは時に俺の為の言葉で、
「間抜けなノーエチケット野郎」「狂乱のインチキ紛い者」ってのは時に俺の為の称号なのかも知れない。
厄介事をいくら避けようとしても、いつだって「厄介事」を招き入れているのはこの俺だってんだから溜息と哀れさが止まらない。
「負い目なんて断固作るべからず」などと日々ほざき続けながら、
いつだって「負い目」を作っているのはこの俺だってんだから苦笑いと侘しさが止まらない。
「ハートビートにだけ忠実に」やり過ぎるとダラシナイ欠点が次から次へと見えてきやがる有り様、
俺ってひょっとして救いようのないナスビひょっとこ野郎の代表格なのかも知れない。
秩序もモラルもデリカシーも根こそぎ捨てて殴り合いの喧嘩をしたら一体どんな胸中を手に入れただろうかと考える、
殴り殴られながら俺はきっと激しく悩むだろう、「一体何の為にこんな事を?」。
絶え間ない大茶番の争い事が時速357kmで駆け抜けて行く、
ところが負い目を感じてしまう以上、中途半端にしか火が点かない始末。
「俺がお前を殴って一体何になる?」
そして頭を下げる、面目を捨てて約束破りの負い目については。
よくもあんな謝り方で許してくれたと思ったら重量級の罪悪感が込み上げてきた、
約束を破った間抜けなハートビート野郎にヤツが言った、
「貴様の考え方を尊敬する」
こんな状況で、俺みたいなモンには到底吐けそうもない寛大な言葉を聞いた時、
俺はヤツをその886倍尊敬しながら思った、「悪いのは俺だけだ」。
ちょっと待て僕はもう30だぜ、12月のセントラルパークブルース
小粋なポップシンガーが叫ぶ、
ジョンレノンが撃たれて30年、その5日後に俺は日本とニューヨークで30歳を2回迎える。
ニューヨークの地図を頭に叩き込みながらブコウスキーヒストリーを読み漁り、
ゴッホ伝記を嗜みながらショーケンの自伝を読み返す。
「目まぐるしくてとても追いつかない」現状を招き入れているのもこの俺だってんだから閉口と衝動は一向に止まらない。
俺はほとんどを信じない、ほとんどを救えない、
ほとんどを信じてみたいと、ほとんどを救ってみたいなどと一丁前にヌカしながら。
19歳の時分、高速道路を身勝手な速度でかっ飛ばすドライビングガールに吠えた言葉を今でも憶えている、
「おい、このタイヤが今この瞬間に外れんと一体誰が言い切れる?」
タイヤも、いつ突き落とされるかも分からない電車のホームも信じない、臆病の極限でスリルを味わい続けている。
一つだけ確かな事がある、
必要のない事柄には金輪際首を突っ込まない、俺はもはやノープロブレムの極みだ。
負い目とデリカシーを棚に上げて威勢良く殴り合うなんて俺には到底出来ない芸当、
そんな事より19個のアクセサリーを傷付けずさぞかし大事にした方が良い、
そして20個目は麗しのニューヨークで手に入れるって寸法だ。
BGMはビル・エヴァンスからバド・パウエル、ピアノジャズで穏やかに眠る。