December 04, 2010
アクト・ナチュラリー ’10
今の気分をたったの一言で片付けるのなら「キャラメルコーンを小粋な皿に盛って召し上がりたい」気分。
正直者が異端児と呼ばれる昨今のサカサマ事情、
肩で風切り歩いている様に見えるのだとすれば、それが最も気楽なスタイルだからに他ならない。
どうしようもない輩はどうしようもない輩とつるんだり、どうしようもなく道を塞いだり、挙句の果てに結婚したりする。
オマケに律儀にどうしようもない子どもまで授かり、どうしようもない親によって育てられ、
生意気な口調のままに秩序の意味さえ弁えずどうしようもなくのさばりやがったりしやがる。
そんな循環は真っ平御免の真骨頂、正直者が異端児と呼ばれる昨今のサカサマ事情に盛大なる憎悪を。
隠し事もセコい生き方も名前だけのリーダーも教養の欠片もない最先端気取りも阿呆らし過ぎて閉口、
俺だって「どうしようもない輩」の一員に成り下がってしまう事多々あれど、「常に」って訳じゃない、「たまに」って感じだ、
そしてその「たまに」さえ根こそぎ排除したいと企んでるってんだから生きるってのはエゲツナイ程に難儀だ。
9月に結婚を果たした愛すべき相棒に御祝儀の代わりと銘打ちレコード4枚、そして本を贈る。
レコードはどれもこれも選び抜かれたハイカラ音楽、そして本は御多分に漏れずチャールズ・ブコウスキー「勝手に生きろ」、
結婚しようが子どもが生まれようが「スナック感覚だけは断固見失うべからず」という強い思いが込められている。
どれだけチャーミングな女の子でも「所詮単なる動物の一種に過ぎない」という哲学、
経験を経てそこそこに寛大な心を携えている今日この頃、
訳の分からんコンピューターを開発する前に眠りながらでも読める本を開発してくれ、永久に探究心は収まらない。
テレフォンショッピングで紹介する商品を宗教かの如く祭り上げるタレントの心を見透かした事があるか?
俺はある、
いくら仕事と割り切ろうと試みてもとても割り切れないその胸中に並々ならぬ葛藤と勇気を。
そして東京23区の地理さえ定かでないこの俺がマンハッタン全図を頭に叩き込むその執念にはハッタリの敬意を。
何年か振りに「THE BOOTS DAYS」と書かれたファッション雑誌の類いを手に入れてみる、
無論、流行を追いかける為でも、ファッションを盗む為でも、掲載されたジャケットを買う為でもない。
考え方次第で世界は回る、ニューヨークでギターと20個目のアクセサリーを手に入れる心意気。
座右の銘は「どうにかなる」、俺はそこそこ正直に生きているだけのガリヒョロあん畜生、
大事な事とは身の丈に合ったスタイルの一点張り。
とにかくこの街に腐る程に溢れている逆お洒落ファッキン美容室の全てが昭和ハイカラ喫茶室なら嬉しいのに。