December 13, 2010
孤独という名の歓喜を抱き締めて逃げろ ’10
何も怖くなく、何も寂しくなく、踏み出した自分の足にただ酔いしれていた
知らない街は知らなかった事をいつだってほんの少し痛く教えてくれたけど
そんな事よりそこに立ってる自分と踏み出した自分の足にただ酔いしれていた
吟遊詩人
誰に祝われる権利もなく、盛大な誕生日パーティだとか結婚披露宴なんて類いは断固ガラでもない。
優しくされたら寂しくなるばかりでも自らの権利とポリシーだけは永遠に主張し続けろ、
生きている限りは。
そして俺が俺を、お母ちゃんを盛大に祝うのはまったくもって迷惑の欠片もない程の自由だ。
19歳の誕生日、「9万円のギターを手に入れる」と豪語した俺にお母ちゃんが罵った、
「お前は阿呆か?そのお金をワタシに渡しなさい」
22歳になる誕生日、その真っ赤なエレキギターを弾きながら0時を迎えた俺の背中にはシワクチャの紙切れが貼り付けられ、
そこには愛しの女の子が殴り書きした文字が躍っていた、
「男22歳、ギター掻き毟り中!」
20歳の誕生日に照準を合わせ、遠回りを繰り返しながら早朝から晩まで働き続け120万円を手に入れ、
散々と「ケチの代表格」という名のレッテルを貼られ、俺は平凡な連中を八倍ハナで笑う事だけは忘れず、
大袈裟に不貞腐れながら突き動かされる衝動にだけは逆らわず、毎晩ギターとノートブックを抱えて座ったまま眠っていた。
そして20歳になったばかりの真夜中、俺は東京行き寝台特急列車に飛び乗り大そうに泣き崩れながら夢を見ていた。
これからとんでもない事が始まるんじゃないかと、いつも一人で胸を躍らせていた。
あれから丸10年、大物なのか小物なのか論外なのか単なる端くれ者なのかなんてどうだって良い、
胸を躍らせる方法をいつだって思案し、そして辿り着き30歳を迎えた今、
誰に祝われる権利もなく、何も出来ずやろうともしない輩共に罵られる筋合いもなく、
12月13日という日を丸々48時間眠らずに過ごしてやろうと企んでいる。
全ては完璧に仕立て上げられた逆トナカイ男のドキュメンタリーフィルム、
無事に成田空港何ちゃらターミナルエリアまで辿り着き、税関通関何ちゃら関を見事突破し、
そして生きてさえすれば俺は飛行機の中で、マンハッタンのど真ん中で感極まって泣き崩れてしまうかも知れないし、
生きている喜びをエゲツナイ程に味わい尽くし胸ごと口から吐き出してしまうかも知れない。
時差は-14時間、このハイカラシステムを最大限に活用し、今現在の時間をもう一度巻き戻し、
映画やら本やら音楽やら何やらで観過ぎる程に観てきた生粋のニューヨークを目の当たり、
すなわち、12月13日という火は今も昔もどうしようもない程に燃え続けている有り様。
仕返しってのは暴力じゃない、ふてぶてしく行動と大言壮語を吐き続ける事に他ならない。
今日まで「アンタみたいな人間と友達になれて良かった」などと何人もの人間が俺みたいなモンに声を掛けてくれた、
いつも照れながら答えた、「こちらこそありがとう」。
最低気温は-6℃、生憎の雨やら雪やらを蹴散らし、ガタボロトランクには柄シャツとタンクトップとメモ帳、
この類い稀なる武者震いはきっと誰にも伝わらない、所詮俺個人の感情に過ぎない。
旅から戻れば御多分に漏れずとんでもない寂しさが襲い出しやがるに違いない、
バットしかし、次から次へと奮い立たせる旅の準備はいつだって出来ている、
権利とポリシーと哲学をエゲツナイ程に持ち合わせて生きている限りは。