September 08, 2020

ザ・ライセンス '20


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 '20.09.08(火)

季節季節の素通り野郎このワタシ、オレは今、手に入れたばかりのサイコビリーレコードへ踊りたいが為だけに針を落としたものの、文章を書く為にサイコは不要だと即座に針を置き無音に戻したところ。

2020年、夢の40歳へ向けアクセルを踏みまくろうと試みたのも束の間、気付けば障害物に阻まれ、ハンドルさばきは常に不安定の逆暴走状態。

元来、「CORONA」ってのはトヨタの名車の事であり、それからビールの名称だ。二番煎じどころか八番煎じには用がないと信じて今日まで生きてきた。

このままいったら2020年は1点さえも稼げずただ無表情で無意味な40を迎えて終わりそうな感さえ漂い出している今日この頃。

そんな最中、オレは「第19次免許ほしいの」ブームの真っ直中に突入していた。「今こそギアが
噛み合う最たる時なのか」と自問自答し、そうと決まれば一気に追求した。

旅の計画も安易に立てられない昨今、それでいて旅の計画を強行する方法はただ一つ、合宿免許だ。無論、場所はまだ足を踏み入れた事がない町ってのが好ましい。ロマンの呪縛人を気取るなら当然の思考回路だ。

オレの前世は生粋の車乗りだったんだろうとずっと思ってきた。ミニカー収集、ミニ四駆、ラジコン、そして小学生時分からスクラップ車の運転席を基地と称して独占していた。

高校入学と同時に時給650円で働いたのは自ずとガソリンスタンドだった。ハイオクと軽油の違いすら分からず、ハイオクを入れるべき高級車に軽油を満タンにぶち込んでしまう程の無知だったが、車が好きだった。

気付けばどの町に行こうが車の写真ばかり撮っていた。アメリカでは早く目的地に向かいたいのに、停車してある車がいちいち格好良過ぎて立ち止まってばかりいた。とにかく旧車が好きだった。

しかし、オレは周りの連中が高校卒業前に車の教習に通っている18の頃は東京に行く事しか眼中になく、東京では免許は不要、しかし原付の免許は役に立つだろうと踏み、その頃に原付の免許だけ取得した。

「何故この時期に原付だけなんだ?」と先生はハナで笑ったが、オレはその頃、東京に行く事しか眼中になかった。そしてそのまま東京まで持ち込んだ「福山ナンバー」の真っ赤なバイクは数々の場面で確かに活躍した。

あれから20年、事ある毎に「何故あの時に」と悔やみながらもあの時はしょうがなかったと自らを慰めてきた。

今世ではもう車の運転は無理なのかと半ば諦めかけてもきたが、
今まで何度も見逃してきた車の免許を取得する時が遅ればせながら遂にきたらしい。

無論、「AT限定」などと免許証に刻まれるのは断固ポリシーに反するが故、ミッション操作に全神経を集中する。

「オートマティック限定」って、まるで針の落とし方さえ知らんみたいな云われ様は真っ平御免だ。

永遠の助手席DJボーイを気取るのも良いが、それは結局「一人では何も出来ない」ってのとイコールだ。20年分の遅れを、2020年の内に取り戻してやろう。それは無論、2021年以降の自由に繋がるという目論みだ。

40の誕生日を迎える日にはまず、横須賀辺りまでウイニングランってのはどうだろう。実現した暁には辛うじての55点を自らにくれてやる。

そしてオレはその瞬間、長年ホザいてみたかったセリフを表情溢れるツラで満を持して口にしたりするんだろう、

「このまま次の街へ行かんといけんけぇ、今日は呑まれんのや」

敬具。


(1388文字)




drecom_eroom5session at 18:10│Comments(0)散文 

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